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聰子の日記広場たより   五六八号  鍬塚聰子
                二〇一一年四月十一日(月) 旧弥生九日
東日本大震災から一ヶ月が経ちました。
 余震がまだ続いています。避難生活の方々の心身の疲労はいかばかりでしょう。新聞の報道を読むと「命があるのだから」と苦労を多くは語られません。地域が育てた民度というのでしょうか、我慢強く他を思いやる心が大きいことに気付きます。
 子どもたちも健気に笑顔でおとなを助けています。前号で書いた東北国際クリニックの「地球のステージ」ブログでも、桑山紀彦医師は触れています。大変な状況の今、「元気なのはぼくだけだから」とまわりのおとなを元気づけようにニコニコしているけれど夜になると「こわーい」と泣いているFくん三年生。これ以上おとなに心配掛けてはいけないとおとなっぽく振る舞う六年生のMさん。それでサッカー大会を企画し、子どもが子どもらしくなる場を作りました。芸能人の慰問が報道されます。顔を輝かせて迎えたと書かれていますが、彼らが去ったあとの落ち込みは「慰問症候群」と名付けられています。必要なのは「瓦礫撤去&清掃」「炊き出し」「スポーツ大会」です。
 北九州は官民協働の「絆」プロジェクトを立ち上げました。東日本大震災を受けて北九州市に避難した被災者のために、公営、 民間住宅の確保から日常生活までを官民一体で支援しようというものです。絆はお互いの繋がりのことですが、実は「傷」も含むとホームレス支援機構の奥田理事長は言います。自分は傷つかずに他の人に手をさしのべることは出来ません。キリスト教では収入の25~35パーセントを貧民のために用いることが定められそれをチャリティというのだそうです。
 チャップリンは最後の作品「ライムライト」で「人生は勇気と想像力と愛と少しのお金があればいい」と言いました。私たちは総中流になり、物質的な豊かさを享受してきました。活断層の日本に原発を作る危険より、経済の潤いを選んだのはわたしたちおとなです。子どもが放射能の影響を受けるのは想定外でと言い逃れは出来ません。
 日記広場のTちゃんちにも茨城からHちゃんが避難して来ました。お母さんは仕事があるから戻り、Tちゃんは戸畑の小学校で一年間過ごします。九日の井手浦のお花見に一緒に来ました。小二です。楽しく川辺で遊ぶ子ども達をおとな
は守らなければいけません。テレジンでおとながそうしたように。
 五六一号で書いたデジカメは四月八日戻ってきました。嬉しいです。

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