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さと子の日記広場たより 通算五五四号
    二〇一〇年二月二十八日(日) 旧睦月十五日
一月十七日の「スーホの白い馬コンサート」は、ウェルとばたに百二十名程のお客様を迎えました。久しぶりのジリムトさんの馬頭琴です。前日、名古屋から、李佳芳さんマンドッチくんの三人は我が家に来ました。着いてすぐ、友情出演のピアノの谷口淑子さんとリハーサルです。その間、佳芳さんとマンちゃんは戸畑駅近辺でチラシ配りをします。暮れの二十四日に決まり、チラシを印刷したのが二八日。それから手紙とメールと電話の日々でした。十年ほど前に取材してくださった朝日新聞の富田記者さんは、それを十四日の県内版のお知らせに載せてくださったのです。
 その日から「新聞で・・・」と。朽網のコーラスグループ「チェリーコール」さんは十四名という団体入場。今「スーホの白い馬」を練習していますからと。会場では「雪国」の合唱指導をしていただく一幕もありました。篠栗からは、ジリムトさんの九国時代のお友達も。飯塚からは「母を介護中なので、具合が良ければ・・・・・」お見えになりました。
その方は、馬頭琴とお祖母さまの思い出を朝日新聞ひととき欄へ投稿され、何人もの方から「載ってましたね」とお知らせいただきました。
 NPO北九州市視覚障害者自立推進協会あいずのスタッフのYさんも朝日新聞を見てでした。お礼の電話をしたら、お住まいも近く共通点も多く、旧知のように話が弾み、わたしの名刺を点字入りにしてくださったり、三月七日には「話し方講座」も。
 ゆんたす珈琲店でチラシを見た直方のYさんは友人の「礫陵塚に吹く風の音(続スーホの白い馬)」の作者を誘いました。A4用紙十枚の力作です。作中のスーホのおばあさんの「わたしは大丈夫」の言葉が心に響きました。すると我慢強いお母様の口癖だったとか。作者のお母様への深い愛情が、私に伝わったのです。
 そして大きな出会いがありました。内モンゴルで歴史に残る最期をとげた父上への思いから、内モンゴルの留学生を支援されているNさんは、昨年から唐柏樹(マイラス)さんの「日本のお母さん」です。 阿蘇の高森で画家のご主人と薫野倶楽部、福岡では一人暮らしの母上のお世話とお忙しいのに、やはり新聞で見た友人の知らせで、唐柏樹さんを同日夕刻の無料コンサートに行くように手配してくださったのです。
彼の馬頭琴を聴き、わたしは「スーホを読みたい」と強く思いました。
その夢は二月二十一日に叶いました。夢は叶うもの、思い強ければ。

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