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さと子の日記広場たより 通算五五二号
    二〇〇九年十二月二十二日(火) 旧霜月七日
 
 青天の霹靂とはこういうことを言うのでしょう。
 八月十三日、二回目の「旅する絵本カーニバルin元気のもり」を子育てふれあい交流プラザで開いて二日目でした。今年のテーマは「食」。ワークショップは絵本のお料理。前日はかぼちゃ大王川原田徹さんご臨席でしたのでもちろん「かぼちゃスープ」十三日は「しろくまちゃんのホットケーキ」。もう焼けていいにおいの時、携帯の十回以上の着信に気付き、長女にかけると「お父さんが・・・・・・・・ 」 
 七月二十八日の父の四十九日の法要のため、連れ合いと二十五日から二泊三日の北陸山陰北陸一千二百㌔の車の旅をして、穂高へ行きましたが、新婚旅行以来の二人旅でした。父の家の裏手の柱が腐りかけているので、修理もしました。片付けがまだ残っているのでまた九月には来ようと、八月第一日曜日のいつもの歩く会の準備に早めに一人で帰ったのです。当日の朝、起きられるだろうかと電話すると徹夜したとのこと。その時の写真は人数分印刷も済ませていたので、式場でお渡しできました。
 八月十日、歩く会の方が陣中見舞いに来てくれると嬉しそうな顔で下関の肥中に発つのを見送ったのが最後でした。みなさんと近くのペンションマーメイドで宴会。「川の流れのように」を歌ったそうです。葬儀場にその曲が流れました。翌日皆さんが帰り、一仕事終えた連れ合いは、築百六十年の母屋で好きな焼酎を飲みながら眠りこみ目が覚めませんでした。心臓疾患の疑いとの診断です。今にも起きてくるような穏やかな顔でした。四月末にお仲間二十人以上の協力で 棟上げを済ませ、十二月完成を予定し、そのお祝いには蕎麦を打って振る舞う予定で、その蕎麦も種から準備して畑もお借りして蒔くはずでした。毎年末の蕎麦打ちは恒例で、わたしはそばつゆ担当でした。
 葬儀のご挨拶にこう申し上げました。「彼を夢半ばで逝ったかわいそうな男とは思わないでください。陶芸小舎を建てる夢を見、その夢を一歩一歩実現していった幸福な男だったとご記憶いただければ嬉しいです」
 やせ我慢かもしれません。大工さんの手で十二月十二日に完成した小舎を見て涙しました。悔しいです。こう書いていても涙が出ます。でも、泣いてばかりいるのではありません。元気に生きていきます。そして「15000人のアンネフランクーテレジンの小さな画家たち詩人たち」を伝えていこうと思っています。詳細は五五三号で。


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