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さと子の日記広場たより 通算551号
    
        二〇〇九年七月一日(水) 旧皐月九日
 五五〇号を書いて、半年経ってしまいました。
 母が健在だったときは、二十年に片手が余るくらいしか穂高に行かなかったのに、一昨年末、母がなくなってからは、父の介護もあって、一年半で十回以上行きました。こんなに行けるのだったら、母に会いにもっと行けば良かったと思ったことでした。
 変形性膝関節症が治り、軽く歩ける!とるんるんだったら、寒い穂高で足首が痛くなりました。次は変形性足首関節症です。一月末からの谷口淑子さんの市議会議員選挙応援中がひどかったのですが、これもモトムラ鍼灸治療院の登志子先生に泣きついて丁寧に治療していただき、軽くなりました。
 三月二日から八幡東区の美術展示室で「北九州精神科ユーザーパフォーマンス 作品大展覧会とライブと会議」がありました。病院とユーザーという狭い縦の繋がりではなく、支援者も含めて横に広がっていこう。この厳しい時代だからこそ、もっと厳しい条件の下で生きのびてきたのがユーザーなのだから、その存在を示そう。と絵画、書、詩、俳句、手芸工芸品がたくさん集まりました。
 まったく初めての試みで、みな必死です。結果から言うと成功でした。会場の作品は、みな語りかけてきます。精神的にも物質的にも苦しい生活の中から生み出された作品群には、十分な力があります。輝いていました。二回目は、十月二十一日から。
八幡東区の旧百三十銀行です。
 会場では六日間、ライブがありました。詩の朗読や俳句会も含めて、司会をするので体力がいると思い、自彊術を十日前から毎日しました。それが良かったのでしょう、初日の夜十時、我が家へあと五十メートルのところでひったくりに遭い、もみ合って転んだのですが、軽い打撲で済みました。
 体は何ともなかったのですが、一人の人を罪人にした結果にずっと心が痛んでいます。お子さんがいると聞いてなおさらです。強い心になることを祈るしかありません。
 少し元気になった矢先、六月十三日に穂高の父が心筋梗塞であっという間に亡くなりました。二十五日には実の父が悪性リンパ腫で亡くなりました。
八十五歳、九十五歳です。それぞれの人生をしっかり生きてきた
二人の魂の平安を、六十五歳の若輩の私は祈ります。

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