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平成二十年度さと子の日記広場たより十三号 通算549号
二〇〇八年十月二十五日(土) 旧長月二十七日
二十四日、パパは二度目の心臓手術が成功し、退院は二週間以内に出来そうと嬉しい知らせが入りました。
 パパというのは、義兄のことです。子どものいない姉夫婦を、我が家に子どもが授かって以来、「パパママ」と呼んでいるのです。私たちは「お父さんお母さん」。二人とも、四人の子をそれはそれは可愛がってくれました。
 九月二十五日、パパが心筋梗塞で倒れたと知らせがあったとき、十四年前の連れ合いの心筋梗塞が軽かったので、それほど心配していませんでした。翌日は予定通り娘達の運転で、母の納骨の相談に日田大山の顕正寺へ、むかいました。でも「今のうちに会わせたい人に会わせておいた方が・・・・」とお医者さんが仰ったと聞いて、びっくり。娘二人とその家族の犬五匹(サラ・颯士郎・双葉・菫・楓)と一緒に、夜中の三時に北九州を出発しました。
 高速を使いましたが、ドッグランの設備のあるサービスエリアで人間も犬も休憩し、十七時間かけて、穂高へ到着。長女の家の車はバーニーズマウンテンのサラやイングリッシュコッカースパニエルの颯士郎用に大きめなので、それで行きましたから、ずっと長女が運転しました。その気力に感心しました。次女はミニダックスの三匹です。
 二十七日夜の八時過ぎに安曇野赤十字病院に到着しましたが、様々な機械や管につながれて、身動きできない状態で眠ってました。心臓を動かす機械の音が不気味に大きくドクッドクッと聞こえます。どんなに強靱な精神力の人でも、こんな状態だと気が狂うほどなので、薬で眠らせているのだそうです。やっと不気味な機械は外れ自力で心臓は動き出したのに、肺炎を併発したので、また眠らせての治療です。姉は許可をもらって五日間病院に泊まり込みました。「側にいたい。パパのいない生活は考えられない。生まれ変わっても、この人と生きたい」との姉のメール。
 姉夫婦はGLAで勉強しています。茨城や中京、松本のお仲間が毎晩十一時に祈って下さいます。祈りは光です。薬で眠っているときに、お釈迦様の姿を輝く草原に見たそうです。臨死体験なのかもしれませんが、たくさんの祈りが義兄に届いたのです。
あと三十分遅ければ駄目だった命。致死率七十パーセントの病状。たまたまいらしたのが、十年前、同じような状態のお父様を亡くされたので、絶対助けると思われた内川医師。有り難くてなりません。

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