一覧表へ戻る

平成十九年度 聰子の日記広場たより三号 
 
通算五一八号 二〇〇七年五月九日(水)陰暦弥生二十三日

 
そのわけは?
 四月二十一日、門司港栄町の「バナナ伝説」へ行ったときのことです。
二十三日読書の日に、牧山小の「おはなしの会」では『さくらちゃん』も四人で朗読するので、文字のない大型絵本『さくらちゃん』を作家の新田恒二さんにお借りするために出かけました。
「バナナ伝説」は夜はバーにもなり、昼間はバナナ焼きカレーを出すお店です。バナナの着ぐるみが店先に置いてあるのですぐ判ります。
 昔は靴屋さんで,それをお金はないけれど情熱はある!という感じをさりげなく演出しているお店です。
その二階は門司港コミュの事務局になるのですが、そこで新田恒二さんの絵本にまつわるお話を聞きました。
 それは彼のHPのネットラジオで聞くことができます。 わたしも日記広場のことを話しましたのでお聞き下さい。
 その前から『さくらちゃん』には明治大正昭和の歴史的な背景を感じていましたし、小森江の工場一帯を仕切っていた商店が原価計算なるものを初めてやったのだという話も聞いていました。
そういう歴史の重みが『さくらちゃん』にあるから心惹かれるのだろうと思っていました。
ところがもうひとつあったのです。
 彼は言いました。
 戦後外地から引きあげてきた人は日本に帰ってきたんだという実感を、この桜が咲いているのを見て一番強く得たのではないか。
 だから初めは、真っ黒な飛行機が何機も飛んでいる絵や、引き揚げの船も描いたのだそうです。
 でもそれらは全部そぎ落とされ、今の形になりました。
 わたしも満州からの引き揚げ者です。
 昭和二十一年五月に日本に帰ってきました。
 一歳半だったし、死にかけてもいました。
 五月二十五日に亡くなった祖母が守ってくれたのでしょう、今も生きています。
 櫻はその翌年しか親たちも見なかったでしょう。
 でも、新田恒二さんがこの櫻にそういう思いを抱いていたことを知り、わたしがどうしてこんなに『さくらちゃん』に心惹かれるかが腑に落ちました。
 地元の話だからたくさんの人に知ってもらいたいとの思いの外に、奥底に流れるものへの共感があったのでした。
 読書の日には牧山小全員と、高生中学の一、二年生にも『さくらちゃん』を読むことが出来ました。テナーリコーダーを 原田大裕さんにも吹いていただき、素敵な時間が生まれました。            
 

一覧表へ戻る