平成十七年 聰子の日記広場たより26号  
        通算四八一号   
              二〇〇六年二月四日(土)太陰暦睦月七日  立春

 甘夏の美味しい季節になりました。
 今年もガイアみなまたの甘夏を注文しました。連れ合いが陶芸小屋を
造ろうとしている豊浦郡肥中には夏蜜柑の木があり、ぽとぽと落ちたの
を毎週持って帰るので、日記広場でせっせとジュースにしましたし、
健吾くんの若松のお家には甘夏も八朔も一〇〇個以上実ります。長女の菜の花
縁で知り合ったS木さん(豊嶋泰嗣さんの隠れ応援団長)や、毎年梅ち
ぎりをさせて頂くS谷さんのお家にも「いつでも採りにいらっしゃい」と
無農薬の甘夏がたわわです。でも、毎年ガイアみなまたの甘夏を注文します。
微力ですが応援の意味があるのです。
 五〇年前の水俣のあの大事件は、国と窒素会社の責任に他ならないのですが、
あれだけ悲惨に被害が広がったことに、日本人としての責任も感じます。
 十一月三日に水俣で石牟礼道子さんがお帰りの時、サインをお願いしました。
すると車椅子の道子さんは「机でないと書けないからあとで送ります」と静かに
仰ったのです。恐縮しました。ガイアみなまたの敦子さんにサイン本『苦海浄土』
をご主人が届けてくださって、、例の布良と一緒に送られてきました。 
『苦海浄土』を読んだのは一九七三年です。北九州のカネミ事件、森永ヒ素ミルク
事件・・・・そして一九七六年『天籟通信』で俳句を始めた二〇年前は、二五〇号
記念出版で道子さんが句集『天』を出され、また西日本文化賞を受賞された年です。
代表の故穴井太さんは中学一年時の担任で、道子さんの『天』の句評を書きなさい
と言われれば「はい」と素直に受け、『苦海浄土』『流民の都』『天の病む』
『椿の海の記』『あやとりの記』『おえん遊行』などを読み、夢中で
「道子詩経のえにしにひかれ」約五千字を書いたのでした。
 今『苦海浄土』を読み返しています。聞き書きではなくあくまでも道子さんの
文章であると分かっていても、丁度司馬遼太郎の作品を読むと、まるで龍馬が
本当に喋ったようでしょう、それと同じで辛くて、やっと第六章です。
 症以来五〇年の水俣病です。まだ終っていません。その水俣に産業廃棄物処分場
が出来ると聞き、唖然です。心ある人は反対運動に立ち上がりました。    

わたしに出来る一つは、みなさんにお知らせすることです。     
カット買った菜の花