平成十七年 聰子の日記広場たより24号  通算四七九号 
   二〇〇六年一月二十一日(土)太陰暦師走二十二日

 
今年は「丹念に」生きます。
 今までは「丁寧に」と言っていたのですが「丹念」という言葉に触れる機会が
あって、ちょっと調べてみました。
 丹で思うのは、万葉集の「青丹よし奈良の都の咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」
と太宰府から都を慕って歌った一首ですが、青丹という顔料が奈良でとれたから
枕詞になったのだそうです。丹だけでは赤色をあらわします。
 丹念は真心込めて念入りにと言う意味ですが、赤色がどうして真心になるのか
なんとなくおわかりでしょう。後漢書に「赤心を推いて人の腹中に置く」とあり、
自分の真心と同時に人の真心も信じて疑わないことと注釈がついています。
心を赤色に例えるのは中国から伝わり、丹念・丹精という国字を生み出したのでした。
 丁寧もついでに調べて見ると字源に「陣中に鳴らして衆を戒める鉦。転じて再三
懇切に戒む、親切の意」大辞林に「中国で軍中の警戒や注意を知らせる楽器。そこ
から注意深く念入りであること」とありました。今まで知らずに使っていましたが
二つを較べて断然「丹念」が好きになったので、これを使います。
 これまでのおたよりを読み返すと、ずいぶんと言葉足らずで独りよがりの表現が
多く、しかも誤字脱字が後半は目立ちます。だからこそもっと丹念に!
それで二十三号の補足をします。「親と子が童歌を歌って(略)対等でありかつ
対立する関係を作る」と書きましたが、こういうことを言いたかったのです。
 親と子は同じ動作をする事で対等という意識を持ちます。でも親が手加減せずに、
つまり対等にしているとどうしても大人と子どもの差が生まれます。その時子ども
が「違い」を意識するのです。だからおとながわざと負けてやる、力を緩めるのは
弊害こそあれ、子どものためにはなりません。
 日記広場で七輪でお芋が焼ける間に百人一首で「坊主めくり」をしました。
姫札十九枚坊主札十三枚、蝉丸なら一攫千金で楽しい遊びですが、順位が
決まったら順番に手を置いて一番の人が叩きます。ここを遠慮しては駄目。
ばしっと赤くなるくらい叩くのです。対等ではない対立関係を遊びで味わ
えば、他の場面で乗り切れます。
              
カット 二日拝領の蕪から葉がでて・・・