平成十七年 聰子の日記広場たより21号
 
通算四七六号   
  二〇〇五年十一月二十三日(水)太陰暦神無月二十二日

 
「子ども」の中に宇宙が見える
 これは北九州市立生涯学習総合センター企画十一月開講の市民カレッジの
十五ある講座のひとつです。梅光学院子ども学部提携です。
 応募締切は十一月四日でしたが、「赤ずきん瓦版第二号」を牧山小に届け
てくださった実行委員で、日記広場の賛助会員でもあるMさんから、八日に
教えて頂きすぐに申し込みました。
 多世代交流支援センター&梅光子ども未来会議発行の「子ども未来」にも
案内が同封されていたのですが「市民カレッジ」だけ見て敬遠し、
「子ども」の中に宇宙が見えるという素敵な部分は見逃していたのでした。
十回のリレー講座ですが、担当講師のお名前には見覚えがありました。
 多世代交流支援センターでの「おせっかい員の集い」には、牧山小のおはなし
会の代表二文字さんが行けるときは一緒に参加しているからです。
 第一回目は村中李衣さん。教授とお呼びするのが正しいのですが、
『とうちゃんおかえり』や『うんこ日記』の作者として李衣さんと呼びたいのです。
 十七日夜、私たちの生きていく宇宙を見ていきましょうと心地よい山口弁の李衣
さんはヨルダンの詩人カリール・ジブランの『予言者』こどもの章を読みます。
 
子どもはあなたの子どもであってあなたの子どもではない。そこから生まれた
あなたを通って生きていく。あなたの子どもをあなたの家に住まわせることは出
来るが、その魂まで住まわせることも、彼の夢の中にまで入っていくことは出来
ない。(略)親は弓である。射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあな
たを引きしぼる、かれの矢が速く遠くに飛んでいくように。射手が遠くに飛んで
いった矢を愛しているのなら、それを飛ばした弓を愛さないことがあろうか。
 最後にも読んで下さいました。
 児童文学者として生後一ヶ月の長男さんへの本の実験とか、ツタンカーメンの豆
語録とか、ニュージランド留学のお嬢さんの話に、笑い泣きの二時間でした。
 子どもの一人を生きる時間を奪おうとしているのがおとな。それは例えば哀しみの
中を生きる時間かもしれないけれど、人は哀しみの中で知ることがある。
 この李衣さんの言葉が胸に強く響きました。     

 村中李衣さんの本
『絵本を読みあうということ』読書療法の向こう側とこちら側
                   (二〇〇一年刊)
『子どもと絵本を読みあう』「生きることのデッサン」改題・新装版
                   (二〇〇二年刊)
                      どちらもぶどう社