平成十七年 聰子の日記広場たより20号 通算四七五号  

      二〇〇五年十一月十六日(水)太陰暦神無月十五日

 「いまいのちが流れ逢う 水俣から宮澤賢治の世界」というチラシが、
ガイアみなまたから届いた三回目の布良の中に入っていました。十一月
三日です。一月前から四五六日は熊本行きに決めていました。大学の友
人で現在熊大国文研究室勤務の万里子さんから「古今和歌集一一〇〇年
熊本フォーラム」に来ませんかとお誘いを受けていたからです。一日早
めて水俣へ行き、五日に帰ればいい。四国のお遍路の前哨戦で、徳島の
一県参りをしている連れ合いは三日の早朝帰宅、わたしは昼からの出発
で、万事好都合。
 博多でリレー特急つばめ、新八代で新幹線つばめ、新水俣でオレンジ
鉄道にと、戸畑駅から四回乗り換え、ドキドキしながらやっと水俣に
到着しました。
 開演時間より早めに着きましたが、ガイアみなまたの高倉敦子さんに
温かく迎えられ、振舞いの山菜おこわもいただき、例の如く一番前に陣
取りました。
 薩摩琵琶は俳優座養成所第一期卒の林洋子さん。水俣窒素の東京本社
前で、患者さんたちが集まった三五年前、巻紙に書かれた声明文を朗々
と読み上げた方です。それで石牟礼道子さんの『苦界浄土』の巡礼公演
がはじまり、最終地水俣での時です。胎児生水俣病の智子ちゃんは
「なにもしゃべれっませんが、感じたときはおらびます」とお母さんに
抱っこされています。
 上演中俳優扮する患者さんが病気の苦しみの大きな声をあげると、
客席から「ゥオー、ゥオー」とおらび声が上がりました。家族で「宝子」
と大事に育てている智子ちゃんがおらんでいるのです。その声は洋子さん
の胸に突き刺さりました。まるで智子ちゃんから
「あんたはいったいなにものなんだ」
と言われたようで、それから演劇活動が出来ず、インドへ行ったりベンガ
ル語を学んだりの八年の日々のあと、バスの中から春の雨の中の母子の姿
を見たとき、宮沢賢治が洋子さんに降り立ったのでした。それから二五年、
クランボンの会を主宰され、今回、林洋子独演薩摩琵琶弾き語り
「なめとこ山の熊」
「賢治文語詩朗唱」
出前公演をスタートされたのでした。その水俣公演に引き寄せられたのは
卒論が賢治だったということだけではない気がいたします。   河原撫子
 
なめとこ山の熊のことならおもしろい。      水俣駅の