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平成十七年 聰子の日記広場たより9号
  通算四六四号    二〇〇五年七月二十日(水)太陰暦水無月十五日

 今、日記広場では貼り絵をしています。「梅の木」の貼り絵です。
 春に日記広場の「櫻」を見に行きましたが、遠距離でもあり全員ではありませんでした。梅ちぎりは幸運にも子ども全員参加です。そういう体験は滅多にないので貼り絵を思いつきました。九年前、姫林檎の木の貼り絵をしました。こんもりと真っ白な花をみんなで見に行き何の花だろうと不思議がり、秋になってまた行き、みんなであの赤い実はなんだろうとがやがや。すると持ち主のおじさんが枝を切って下さったのです。その小さな赤い実を食べると、酸っぱいけれどちゃんと林檎の味でした。もうその木はありません。
 日記広場の展示会の度に貼り、最後の出番は二〇〇〇年の夏でした。端がちぎれたりしていますが、捨てることの出来ない大事な品です。
 貼り絵をして感じることは、大人が熱中するということです。
 九年前は子どもが主に貼りましたが、今回はなかなか子どもは興味を持ちません。貼るよりも切る、それも手ではなくシュレッダーを使って遊んだりします。必然的に貼るのはおとなですが、これがなかなか面白いのです。模造紙二枚を貼り合わせ、樹齢三五年以上の梅の木のラフデッサンを、有紗ちゃんが描きました。直径十メートルくらい伸びている豊かな梅を思い出しながら、広告やカレンダーの緑をせっせと貼るのは気持ちよいのです。週末の広告は家や車の豪華なチラシがあるので、緑や茶色は多種多様です。小さな車や何故かしら馬も貼られていて、楽しいのです。これも昔と違うところでしょうか。 
 こうあるべきだとか、こうしなくてはいけないという枠を、昔は無意識に持っていました。今もないわけではありません。人が人を理由もなく軽んじたのを見たときには、厳しく言います。でもそれ以外は、子どもの心に今浮かんだことを一番に受入れたいと願っています。といっても、私に染みついた枠を外すことは、難しいと実感します。一例として先週のこと。おさなごに気配りするMちゃんがふざけるのです。気になって注意したのですが、よく考えると
わたしに都合の「いい子」という枠を、Mちゃんにはめていた
のでした。それに気づいたことが、十一年目の大きな収穫です。

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