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平成十七年 聰子の日記広場たより24号
  
通算四四九号     二〇〇五年一月十二日(水)太陰暦師走三日

  南方新社発行『木を植えましょう』という本を読んでいます。下関の本屋さん「子どもの広場」で昨年の十一月十一日に買いました。「この本一冊で苗木を一本植えることができます」という帯に惹かれたからです。一〇五〇円。
 著者の正木高志さんは、奥さんがある日癌になり、大きな悲しみのまっただ中で「見よ、わたしも病んでいる」と江津湖の櫻の老樹の声を聞きました。それで手術を受ける奥さんのための詩が生まれました。
かつて生命の輝きに満ちていた湖が /いまはこんなに疲れはて、病んでいる /自然が病んだのと同じように、ぼくたちも病んでいる /野も山も傷つき、生きとし生けるものが苦しんでいる /賢治が森や風や鳥と喜びを分かちあったように、いまぼくたちが心を開くならば /歓びよりも、その苦しみをこそ分かちあうことになるだろう /それを自分の苦しみとして受入れよう /そしてそこから共に再生の道をさがそう
 手術後の苦しさのなか「あの櫻もこんなに苦しかったのだろう」と訴える奥さんと一緒に、あの木のために出来ることは・・・木を植えること・・と考えたのです。それで農園の回りに木を植えたのですが、うまくいかなかったある日、農場の上の国有林の檜がばっさりと伐採されました。早速森林管理署に「跡地には杉や檜ではなく楢や欅のような広葉樹を植えて欲しい」と申し入れ、受入れられその夜いい気分の高志さんは、寂しげな梟の声を聞き、はっと気づきました。病んだ自然と再生したいと願っているのは僕自身だ。自分で植えよう。
 国有地を民間人が借りて植林し、その木の収益を国と分け合う「分収造林」という制度があるそうです。それで木を植え始めた高志さんは、更に気づくのです。
 自然への同情から植林は始まったのだが、実は彼自身の苦しみを見かねて森が姿を現わしてくれたのだと。森こそ彼の癒しであり、救ってくれる存在だと感じられたのです。それで「森林ボランティアグループ森の声」が生まれました。
私たちは「森の子ども」です。地球を救うのではなく、
私たちが救われるためにも、もっと木を植えましょう。
ずっと以前種を集めたのも、ここに繋がるようです。


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