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平成十六年 聰子の日記広場たより6号
     通算四三十一号 二〇〇四年六月五日(土)太陰暦卯月十八日   

彩雲


 いいことがありました。
 ひかるちゃんの募金が八千万円到達のニュース。
二十五日の新聞です。
 その前日の月曜日M小は運動会の代休でしたので三年生のA紗ちゃんと一緒に
ひかるちゃんの募金の振り込みに西日本銀行へ行ったので嬉しさも一入(ひとしお)です。
枝光公民館の「楽しく書こう」講座でも話していたので、三回目の二十八日は
「集まりましたねえ」「良かったですねえ」
と喜びあいました。
 でも、ひかるちゃんの手術は心臓移植です。
ということは彼女に提供される心臓の持ち主は命をなくしていることになります。
その親はどんな気持ちでしょう。
たとえ脳死でも姿がそこにあるというだけで、肉親はその子への愛を確認できます。
頭ではこの子の心臓が他の子の命を救うのだとわかっていても、
現実に受け入れることが出来ないような気がします。
 日頃「目に見えないものを見ましょう」と言っていますが、
そういう場面で目に見えない魂を信じる強い心であるか、自信がありません。
しかし、先日茶房青花のことで感じたことがあります。
 二月末で閉じると言った茶房青花の角さんの応援団を買って出て、三ヶ月みんなでやってみましたが、
蟷螂の斧でした。
でも、何回しか行ったことのない青花にどうしてこんなに肩入れするのだろうと不思議でした。
角さんの自然体のお人柄が第一要因ですが、
もう一つは茶房青花の言うに言われぬ空間の魅力です。
そしてその魅力は本物の持つ力だったことを知りました。
内装に四百万円、什器に一千万円かけ、五十日かけて
開店準備をされたとつい最近知り、うべなるかなと膝を叩いたのでした。
 本物の持つ力が、目には見えないけれど漂っていたのです。
それに心惹かれたのだと納得しました。物も人も命は目には見えません。
でも、見えるのです。
 見えないものを見ようと心がけるというか、利害勘定しなければ見えもし感じも出来るのでしょう。
十二日の友の会主催の音楽会の演奏者遠藤郁子さんも、
見えないものが見える希有な方です。


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