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聰子の日記の広場たより 23号

 通算四一七号 二〇〇三年十一月二十二日(土)陰暦神無月二十九日

 小田まりさんと言う人がいるそうです。するとかなこさんは「わたしは大庭さんと結婚できない」と言い、えりさんは「わたしは岡さんね」と言いました。
 こういう話をPETTYというメール新聞六十五号(三号まとめて三ヶ月に一回)で読んだとき、意味がわかりませんでした。でも、このPETTYはずっと昔、まだ日記教室と称していた頃の強力な助っ人でユーモア抜群の橋本弘子さんの編集発行なのですから、なにかあるに違いない。そして大笑いしました。声に出せばすぐ判る!
 笑い話のあとは真面目に。
 西日本新聞の特集記事「いまこの時代に」はいつも切り抜いて読むのですが、その一つ、作家塩野米松さんの『手仕事を尊ぶー物を作り、使い、育てる』は
百円均一に象徴される使い捨て文明の脆さを教えてくれました。聞き書きという仕事を通じて、職人、漁師、林業や農業を営む人と会って話しを積み重ねていくと、彼らにはあって、私たちの世代が失ったものに気付いたそうです。
 日本の戦後経済は工場から生み出された大量生産の品々を大量消費することで
高度成長を遂げました。「勿体ない」は死語?米だけが自給自足の国なのに、まだ食べられる食品が膨大なゴミとなっていると聞いたことがあります。
 アフガニスタンの村を題材に「せかいいちうつくしいぼくの村」や「ぼくの村にサーカスがきた」の絵本を描いた小林豊さんの話を思い出します。
 電気が村に通じ、蛍光灯という便利な物があると豊さんが話したら、バザールに買いに行った。しかし「光らなくなったらどうするのだ」との質問に「捨てる」と答えると、修理できない物は価値がないとして、買わなかったアフガニスタンの人。まだ使える物も捨てる日本。
物の豊かさは、そのものを作った人への感謝がなければ、壊れたら捨てても平気という心の貧しさを引き連れてきます。ものも大事にしない人が、どうして人を大事にするでしょうか。子ども虐待の報道に、そうなる前のひとこと、あるいはお節介はなかったのだろうかと、昔風の関わりの希薄な貧しい社会を辛く感じますが、「使い捨て」も原因の一つでしょう。
        

                                    

                                             


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