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聰子の日記の広場たより 21号   
通算四一五号   二〇〇三年十月二十五日(土)陰暦神無月一日
    

 長崎の事件に思うこと。
 少年の親が随分非難されました。日本では 「親の顔が見たい」と親の責任にします。この親にしてこの子ありと言いますが、鳶が鷹を産む例もあるわけですから、決めつけられません。ただ親の責任が百パーセントではないと言えます。 少年もその両親もこの社会に生きています。戦後、日本を貫く流れが経済中心になり、精神や霊性がなおざりにされました。簡単に言えば個人主義です。他との関わりを面倒だと避けてしまう風潮の社会、それを近代社会というならば、なんと貧しい社会なのでしょう。しかしそれは現実です。そういう空気の中に生きていると、目に見えないもの、善意、誠意、信じる心などは不確かなものとして避けてしまいます。だから、少年の母親も形に表れたものを信じる傾向に走ったのでしょう。父親も少年の発する目に見えない信号を受け取ることが出来なかったのでしょう。目に見えるものしか信じられなくない人間を作り出した社会を憎むべきですが,それはとても抽象的なので、手っ取り早く目に見える親を非難するのです。
 日記の広場で思うことは、沢山の人の縁を戴いて有り難いなあということです。
 人が人と繋がっていくのは、目には見えない沢山のものが働いているので、「求め」るのではなく「戴く」のだと実感します。
 九月下旬より始まった牧山小学校の図書室支援の縁もそうです。
 七年前、貫の公民館のコピー機に忘れられた「日記の広場たより」を見たことがきっかけで、ずっとご縁のあるN・N子さんは、昨年司書の資格を取得し、読書の楽しみを広めたいと「北九州読書交流センター」を作りました。彼女から、牧山小学校で昼休みに図書室にいる方を探しているのですが、どなたか
ご存じありませんかとの電話に心が動きました。私に出来るなら、やってみようと。
 牧山小は長男が二十年前に卒業し長女次女も入学した学校です。日記の広場繋がりの子が四人もいます。そして図書室主任の先生は、今小三のE口N明くんの叔母さんでした。図書室に行くのが楽しくて、月水金だけとお約束したのに、先週は毎日行きました。行きたくなるのです。図書室が大好きです。
       ご報告:デンファレはあのあと枯れました。


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