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聰子の日記の広場たより 19号      
通算四一三号   二〇〇三年九月二十七日(土)陰暦長月二日  

 子猫のお話です。
 時は八月三十日。この日は土曜日ですから本来日記の広場なのですが、その前日は小倉北区ムーブでの「とーんとむかしコンサート」に行ったし、翌日は淑子さんの「ティエラ」が門司港であります。それで、翌週のMちゃん九歳・Kくん七歳 の誕生会に欠かせないびっくり卵を、来られる人だけで作りましょう、でした。
 二月の出会い以来(おたより三百九十号)子どもたちの笑顔が好きと「日記の広場のお兄さん」になったT君とAちゃんが作り始めました。
 途中でお散歩!と我が家に六月末から飼い始めたもも太郎(一歳)と一緒に出かけた二人が「子猫が動かなくて、でもちょっと動いてるんだけど、来て!」  右に出た道路に黒白の痩せた子猫がぐったりしています。目やにで目は潰れ、後ろ足は動きません。それにひどい匂い。あとで判ったのですが脊椎損傷で下半身が麻痺し、腸もやられていていわゆる垂れ流し状態でした。
 もも太郎を飼い始めたとはいえ、それまでには亀と小鳥と鈴虫と蟷螂しか飼ったことがないので、二人に頼られてもどうしていいか判りません。とにかく手当をしようと雑巾を頼むと、さすがT君はわたしの携帯を持ってきてくれました。
 それで、もも太郎の養い親(これも話すと長くなるのでいずれ)の靴屋のベガさんに「どうしたらいい?」と泣きつきました。運良く彼女の中学時代からの友人で、彼女に劣らず猫好きの方(ご自宅には十三匹の猫と保護中一匹)がいて、すぐ車で、雨が降り出した中、若松の病院に運んでくださいました。口は悪いが腕前は抜群とベガさん保証の今林先生のてきぱきの処置に子猫も動き始めるくらい元気になりました。ベガさん特製の箱ごと有紗ちゃんの家へ。三十分おきに餌を食べさせるのですが、なかなか食べません。
 朝、お母さんの車でAちゃんが病院に連れていき、そのまま私の家に連れてきてもらいました。
 それから二時間後、子猫は息を引き取りました。十二時でした。
 午後の音楽会の後、三人で櫻の樹下に埋めました。
 ティエラで貰った白いお花でお墓を飾ります。子猫の名前はサリアン。
 誕生会では皆で祈りました。
                                                   

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