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 聰子の日記の広場たより 9号
通算四〇三号 二〇〇三年六月四日(水)陰暦皐月三日
                                              
 戸畑の浅生交差点の植え込みの美容(未央)柳の黄色い花が咲き始めました。
              (ごめんなさい、美容柳ではなく錦糸梅でした。)
  6号の裏面の月のクイズはすぐおわかりになったことでしょう。晴れていれば、西の空に
今日は三日月がかかっているはずです。
  菜の花や月は東に日は西に(蕪村)のように、満月は日没のあと東にのぼりそれ以降の月の出は遅くなってくるので、それより月齢の早い月は午後の空に見えます。だから、午後既に月が出ているのはこれから満月になっていく「太る月」です。
 日記帳にずっと月齢を書いていたからだと確信しますが、奥野健也くんは「あれは太っていく月なんだね」と夕方の細い月をみてお母さんの友子さんと話したそうです。そして蜜柑が大好きだったこともあって
  おみかんをたべてふとったおつきさま
という俳句が生まれました。米子の月を今は眺めていることでしょう。
 農耕民族ではなくなったわたしたちの生活には月も星も無関係のようですが、わたしたちの心には、月を星を眺めることで何かを感じる豊かな襞が残っているのです。
  ゆうやけこやけよるのおそらがひろがるよ
 これは健也くんと幼稚園が一緒だった清原絵理ちゃんが、お母さんの友子さんと散歩して夕焼けを眺めたときの言葉です。そのまま俳句になりました。
 親でもないのに子どものこんな素直な言葉や、子どもの生き生きした表情やしぐさに感動することが多いから日記の広場をずっと続けられるのだと、RKB毎日TVのインタビューで「辞めたいと思うことはありませんでしたか?」の質問(カメラが回っていて、何かを答えたのですが忘れました)を、あとで振り返って、思いました。
 前号で、子どもに私の声が通じないようだと嘆きましたが、よく考えると、それは今に始まったことではありません。子どもがいつもいつもわたしに向いているとしたら、わたしは魔法使いです。でも楽しいからと来てくれる子どもがここにいます。それで充分なのに、テレビ放映を意識し、うーんこれでいいのかなと動揺したのでした。子どものありのままの今を受け入れ、こどもの未来を祈るのが日記の広場の原点だったことをちょっと忘れていたようです。

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