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  聰子の日記の広場たより45号
通算三九〇号 二〇〇三年二月二六日(水)陰暦睦月二六日  発行人鍬塚聰子

  春の雨前も後ろも生きている   さとこ
 二月二十二日、「第十八回北九州市民精神保健福祉の集い」(四十三号裏面に紹介)に参加しました。産業医科大精神神経科教授中村純氏の基調講演は、スライドを使っての具体的な話でしたが、その中でも、様々なストレスが身体に出る人と心に出る人と二通りあって、前者は比較的無関心な人であり、後者は素直な人ではないかと話されたことが印象的でした。
 この会の主催者、街角の精神神経科診療所(熊手町クリニック)の先生の看護学校での講義を去年数回聴講したのですが、身体の病気はほとんど解明されているのに対して、心の病気の原因は解明されてはいないとはショックでした。が、従来の精神分裂病という呼び方が去年から統合失調症と変わったことは社会のひとつの変化だということに少しほっとしました。精神分裂病という乱暴ないわば無神経な名称はいったい誰が作ったのでしょう。ひどい言葉です。就職や結婚への障害になるほどの差別的な言葉に育てた社会も責任があるのです。
 彼とは三年前のバレンタインデーに句会を開いて以来の知己ですが、この句会に参加する方たちの素直さに、心と言葉の深いつながりに思い至ることが屡々です。
 それで後半は十四名のパネラーの一人として壇上に。ひとり三分の意見の後にディスカッションの予定ですが、時間以内で終わった人はいません。それはそうです。それぞれの立場で伝えたいことはひとり三十分でも足りないくらいです。わたしも句会での俳句を例にあげて、心と言葉の深いつながりを話すのですから、守れません(ごめんなさい)全員が終わると、会の終了時間になっていました。それで司会者が、では今日のまとめを俳句で・・・・・と言われて出来たのが冒頭の句です。
 その日は終日雨でした。がもう冷たい雨ではありません。会場内の当事者、家族、支援者すべて生きてます。前に座っている人も、後ろに座っている人も生きています。その一人一人は過去の全てを引き受けつつ、さらによりよい未来
へと生きていくでしょう。身体の病気ではなく、心の病気であるがために社会が冷たかった過去から、それを自分たちの手で少しでも変えようとする会場内の静かな力にうたれて出来た句です。