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聰子の日記の広場たより44号
通算三八九号 二〇〇三年二月十九日(水)陰暦睦月十九日  発行人鍬塚聰子

 春はそこまで。沈丁花が咲き、猫柳がぷっくり。
 もと日記の広場のY佳ちゃんのお母さんN美さんからお手紙がきました。中にきらきらの五百円玉と、ぴんぴんの二千円札が。それは・・・
 Y佳ちゃんの妹S華ちゃんの幼稚園の友達の家が火事で、園から火事見舞いに「おこづかいから少しずつ出し合いましょう」とおたよりがあったそうです。それで話し合い?をしたのですが、五歳の子どものすぐに理解できることでしょうか。
 S華ちゃんも丁度お財布の中が使ったり貯金したりで少なくなっていたこともあり「なくなるからあげたくない」と言いました。そこでN美さんは、火事にあったらどうなるのか、お友達の気持ちはどうなのだろうと ゆっくり話していると、お財布の中のきらきら五百円玉あるだけ四個を「お友達にあげる」と半べその顔で出したのです。S華ちゃんにとってきらきらの五百円玉は、千円札よりも大事なものです。それを知っているN美さんは感動しました。
 その一部始終を見ていたY佳ちゃんはしばらく考えて「わたしの二千五百円をあげる。全部なくなって可哀想だから」と真剣な顔でN美さんに告げます。二年前が千冊でしたから、今はもうどれくらい本を読んでいるのでしょう、その彼女は自分で考える子です。考えてそう言った言葉にどう応えるのが一番なのでしょうか。
 N美さんはY佳ちゃんの言動に感動しつつもどう対応すればよいか迷いました。けれども、「お金がなくなって可哀想だけれど、お金が減ったことをもう少し考えてほしいからS華にあげなくて、Y佳の気持として募金して欲しい」と言いました。
 日記の広場では彼女がいた時分からクリスマス醵金をしていたので、彼女の妹をいたわる心のこもった尊いお金が募金として届いたのです。
 普段は言い出したらきかないのに、半べそで五百円玉四個を出した妹、その妹に大事にしていた二千円ときらきらの五百円を出した姉。妹にはあげないで、募金することにしてと迷いながら言った母。家族が祈りの心で生きている一こまだとわたしは感じました。ああいいことした!これでは自己満足です。
迷って迷って、これでいいのかと思いめぐらすばかりです。
が、迷いの花は何十年後に実を結ぶはず、いえ、結びます。