わがままな精神科医の夏帽子
         シリーズ街角の俳句会 N

       
 迷いながら、しかし『ドイツ式シンプルに生きる整理術』(主婦の友社発行)という本を買った。読む前から「捨てなさい」と書いているだろうと予想がつくからだ。既に持っている『シンプルライフをめざす基本の家事』(婦人之友社発行)にも「がらくたのない気持ちのいい家」とある。捨てればいいと判っている。それが出来ないで物が溜まってくる。それで丈夫な袋(結婚式の引き出物入れが最適)に放り込み要整理と書いて、誰もいない部屋の放り込んでいた。四人の子どもが家を離れたのでスペースはあるが、それも限度がある。どうにかしないとという切迫感がこの本を選ばせたようだ。まだ全部は読んでいないのだが、「快適に感じるモノ」という言葉に刺激され、整理を始めた。すると二〇〇一年五月のグランパ句会のあとに残った七人で巻いた連句のメモが出てきた。処分する前にここに記す。

発句 蓬餅川が体を流れてね      聰子
脇    四方黙したる春風の部屋    そら  
  
  願い事かなわぬまでも種蒔かむ   剛
     原風景が宙ぶらりん       賢二
  月の影吾と三人杯を干す  そら
     鈴虫の音のひときわ高く    暮淡
  ハロウィン異邦の硬貨握りしめ   聰子
    思い出の香に誘われつつ    そら   
  過ぎし夜の肌の温もり冬木立    乱葉   
    届けられたる手編みのマフラー  剛  
  曇る海越えよう尖塔の街へ     そら   
    羽は銀月に飛ぶ魚        聰子  
  筑豊の里の大楠蘇り         賢二 
   千年トトロ百年トトロ
  目をあけて見えぬものあり霞立ち
   うらうらうらと「魏志倭人伝」
  車座に天地長久花満々
挙句  陽炎幻鳳凰の舞 発句脇
   
 記憶を辿ると、九時過ぎから始めて終ったのは二時近かったようだ。ワインを飲みながらだから裏を返したあたりから、誰の作というのではなくみんなでわいわい合作した。時間がこんなに経ったとは誰も想わなかった。連句初体験の剛さんが「こんなふうにだらだらと作るのって楽しいですねえ。またやりましょう」と言ってから四年が経つが、彼も就職しながら大学院で勉強という激務だし、賢二さんは支店長になって忙しいし、そらさんは体調が整わないようだし、暮淡さんは弓を若い人に教えて時間がないし、乱葉さんは二日三日酔いでいつも頭が真っ白だと言うし、わたしもライフワークの「日記広場」が十一年目を迎えて心を動かされることが多く、小学校の図書室支援やミニコンサートの仕掛け人や新潟地震支援絵葉書(十日町スケッチ)仲介などで、みんなで連句で遊ぶゆとりがないが、またいつの日かゆったりだらだらと楽しみたい。
正式な連句とは言えないが、このとき豊かな時間が流れたことは想像して貰えるのではないだろうか。
 前号を貰って一週間後に原稿提出に慌てたが、今回は「快適に感じる」がテーマ。私が特選にした句を中心に書く。今生きているのは死ぬためではなく、幸福に楽しく生きるためである。原稿書くのも楽しくしたい。

一月句会(十七日旧師走八日)兼題餅
私の部屋水仙の匂い         夏日 十二月に「こそはの集い」があった。ステージの廻りに飾られた沢山の花のなかで水仙が印象的だった。持って帰っていいとのことで、水仙ばかりを選んだから、この句が真っ先に飛び込んできた。特選にしたが、私一人の選だった。五七五ではなく五七三という破調から避けたのだろうか。部屋に水仙が匂っている、ただそれだけのことではないかと切り捨てたのだろうか。あるいは何となく好きなのだが、どう言い表していいか判らないから選ばなかったのかもしれない。句会は選んだ人が選んだ理由を述べる形式だから、どうしてこんなのを選んだのかといった厳しい追及もたまにはある。しかし、選句基準は「わたし」なのだ。これが好きだなあと思うのが一番だし、それがあれば選んだ理由は後からいくらでもつけられる。判る判らないではなく、好きかそうでないか、心地よいかそうでないかが選句の基準である。

できたてのおろし餅ははの長わずらい 清
母の長わずらいとすっと読めたら選ばれるがおろし餅は、歯の長わずらいと読むとこりゃなんじゃとなる。相手に良く伝わるように書く、これが基本。「母」なら誤読されない。それにしてもつきたての餅を大根おろしで食べると美味しいしその気持ちよさと母の病気との組み合わせ、これを二物衝撃というのだが、成功している。こういうのがもっと増えるとわが街角句会がもっと面白くなるのだが。
高点句
寒椿峠の風となる決意     賢二七点
寒牡丹ささやくような決意です 虎血六点
なんでそんなふくれっ面して餅を焼くごん六点
冬景色一人旅にでも出ようかな   藍五点
良い年となりますように餅をつく ごん五点
他に
うらぶれて異教徒異端異土の月   もとお
翡翠の冬の川面に青き閃 皿倉
重ね餅飾らぬ床の広さかな     糸光
こと進まず鞄破れ冬の雨 楽竿

二月句会(七日旧師走二九日)兼題鬼・福
雪色の服おにいさんおねえさん    そら 私一人選びしかも特選にしたのだが説明しにくい。これは二物衝撃だとも一句一章だとも言える。どちらともとれる無責任さがいい。雪色の服なんだよ、おにいさんおねえさん!or雪色の服を着たおにいさんおねえさん!意味はない。兼題が鬼なので豆まきの風景が多く、極端に言えば作者が誰であってもいいような顔の見えない大人しい俳句が並んでいた中で、この句は異色だった。気恥ずかしいが惹かれる。

高点句
点滴の唄が雪夜の窓たたく    そら六点福来たり沈む心もいっときさ   香華五点
握る手に豆まきの豆五粒ほど   暮淡五点
政府の浄化消される病人高齢者  又太郎四点
傘閉じて水色の空春近し     夏日四点
他に
失いし身体のの声きく冬こだま   せい
眠り姫大寒の日に目覚めけり    虎血
三月句会(七日旧睦月二七日)
 兼題別れ・旅立ち・卒業
畳寒い君は美しい服を脱ぐ     そら
 私が選ぶのは高点句にはならないのだが、これは珍しく高点。同じく五点句は
ふわり春うれしい空と散歩です   河頭山
なごり雪とりわけ小声のさようなら  ごん どちらも判りやすいが、平凡ではない。こういう句に点が入ってきたのはわが街角句会も着実に六年目を歩み出している証拠である。
 さて、畳寒いの句だが、目の前で服を脱いでいるのかあるいはそう言う情景を想像しているのかで意見が分かれた。男性は勿論目の前で脱ぐ、私ともう一人の女性はそんな場面を想像していると。そのどちらにせよ非常に静かな映像が迫ってくるのは間違いない。
他に
花時の思い半ばの別れかな    大輔
FBSの放送記者で「さと子の日記広場広場」を放送して頂いた縁で句会にもお誘いする。メディア関係の忙しさは殺人的で、句会をカメラさん音響さんと連れて撮ってくださったが、放送叶わぬまま転勤。その思いを込めての一句。
新しい春よ子どもたちの背丈   歩歩
梅のごと咲きみだれて空を読む ミルク
冬六法を見つめるガマの脂   又太郎

四月句会(十一日旧弥生三日)兼題野草
三日月を背に句会へ急ぐ。いつもなら椅子に座りきれずにカウンター内にも溢れるのだが、今日は空席も見える。いつも居る人がいないと寂しい。

おばちゃんたちと春が目の前通る  我洲
 愉しい。屈託のない(ように見えるが実は・・・)おばちゃんたちが目の前を通ったとき我洲氏は「春だ」と感じた。それが無駄なく述べられている点がいい。賢二さん乱葉さんも選ぶ。俳句は説明されると嫌になる。想像で遊ばせる句を面白いと感じるようになると、俳句選びが愉しくなるだろう。

青空が故郷なのです犬ふぐり    乱葉
犬ふぐりの青い小さな花に、お前の故郷は青空なんだね、と語りかけている優しさにほだされた二人が特選。わたしは無数に咲いている犬ふぐりを見ながら「私の故郷は青空なのだ」と思いこもうとする哀しさとそれを突き放す口調の良さで採った。これをとった人が十薬の花よ夜風の白きこと     聰子
をイメージがつきすぎるといって採らなかったのもいかに個々の選句基準に幅があるかを示唆して面白い。責任を感じなくていいのだ。好きだ、いいなあと思えば選んでいいのだから。そこでお願い。ここで目にした俳句で気に入ったのがあれば、左記に一筆投じて欲しい。どの号でもいいし、選んだ理由は書かなくてもいい。勿論書いてくださればもっと嬉しい。

花が咲く俺はそろそろとつぶやく   そら
句会に続けて四回も欠席だからこのような弱気な俳句になるのだろうか。いつもの切れがない。諧謔も詩も薄い。しかし同情票が集まって四月の最高得点句。みんな優しいねえ。
 他に
逆縁に赤子となりし妻のいて 空
雪が舞う公園には誰もいない    ミルク
枯れの樹をよく見てほら見て芽吹いている 子房
咲く花の輪郭黙認している春     藍
菜の花のバージンロード風駆ける ひめ本舗 

2005.5