わがままな精神科医の夏帽子             
            ーシリーズ 街角の俳句会ー
 K 鍬塚  聰子
Yさんへ
 今年も櫻は開花は早く、そしてかなり長く咲いていました。
地球温暖化の影響で、櫻が咲かなくなるかもしれないと新聞に書かれていて、
不安を抱きつつも、樹齢八十年の桜並木の下の櫻色の道に感嘆し
櫻と空のあわいに目を凝らし、散る花びらのひとひらを手に受けます。
なかなか手に掴まらないのですが、
掴んだらいいことがあるのです。この春三回成功しましたが、三回とも良いことがありました。本当です。
 そうやって楽しんだあとは、散った花びらを沢山持ち帰り、四階のベランダでまき散らします。
花咲爺さんならぬ花撒婆さんになるのが、わたしの春の終わりの行事です。
 葉桜になるやならぬで、紫色では藤や、桐の花、白色では花水木、そしてなんじゃもんじゃの花が咲き、
これも心弾みます。楠や樫や欅の若葉も、目にするたびに「ああ、きれい」と喜んだ声が出ます。
見るだけでどうして嬉しくなるのでしょう。
 最近知り合った八十歳のご婦人、四回連続当選元国会議員の妻君から、「あなたはロマンチストね」
と笑いを含んで言われましたが、脳天気なわたしは誉められたと思ってはいます。
 美味しいものを食べたとき、欲しいものが手に入ったとき、会いたい人に会えた時に嬉しいのは、
利害関係というか、原因結果がはっきりしているのでよくわかるのです。
 青空や夕焼けや白い雲や月や星や風、優しいものだけでなく、颱風の雨風の強さにも感動します。
ああ、そうか、自然現象は今はやりの言葉で言えば「癒し」の力があるからですね。
 
 日精診誌の原稿、三月末と伺っていたのに、どうにも書く心地がせず、
催促されないのをいいことに、忘れたふりをしていました。
 金曜日、Tさんから「原稿はどうされましたか」と優しいお電話頂き、日曜日の予定を全部を
キャンセルして書こうとしているのですが、月曜日の今現在一字も書けていません。
 Tさんの「自由に書いていいですよ」との言葉が、かえって縛りになっています。
なぜなら
わたしは本源的に「書きたい!」と思うことは稀だからです。これについて書いてくださいと
指示があれば、その線に従って書く。あるいは他に触発されて感じたり、思ったりすれば書く・・・
いやこれは誰もみなみな同じですね。つい、言い訳になって、ご免なさい。
 どうして書けないのかなと考えてみました。 遠慮しつつ言えば、それでも傲慢ないい方になりますが、
心の動く句が少ないのです。多分、わたしの感覚が停滞しているのだと思います。
 この五月で五十二回を迎える街角俳句会、まるっと四年が過ぎましたが、当初から残っているのは
マスターとYさん、あなたと私の三人です。
 五周年を記念して小冊子を作ろうとKさんから提案があり、みなでお互いの句評をしようとこれまで
関わった方達を書き出すと、四十三名です。年に一度の診療所句会で何時も高点を攫うお友達二人、
それに一度だけの参加の方を加えると、五十名超えるかもしれません。
 八席しかない小さなショットバーでの句会も珍しければ、これほどの人が参加する句会も珍しいことです。
そして精神科受診中、もしくはかって、という方が大半の句会も珍しいという言葉で言っていいのか迷うのですが、
あまりないでしょう。治療に俳句とか連句を作る試みは聞いたことがあります。
でもワインを飲みながらの俳句会はまさに珍しい存在です。
 昨年の日精診一四六号でわたしは「言葉の力」について述べました。七句を取り上げましたが、
それぞれに、思いと言葉が繋がったとき、人の心を打つものが生まれたのです。
街角俳句会に連なって良かったと思いました。
ところが、どうでしょう。最近句会で、これっという俳句に出逢わないのです。
言葉は心である。心は必ず他の人の心に繋がるとの信仰が崩れたのでしょうか。
 俳句という器を考えたとき、句会参加の皆さんは、それにきっちり入るように考えて作ります。
季語は音数は、と指を折ったり歳時記を調べたり、そういう意味ではこの四年間でずいぶん灯上手くなっています。
 だから余計に心が動かないのでしょう。型にはまった俳句はどこにでもいくらでもあります。
言葉の数ほど俳句はあるでしょう。器に収まりきらない心の動き、感じたこと、それを定型にきちんと押し込めようと
すると抵抗が起こりますね。その貴重な抵抗勢力をああ、これでは駄目だ、俳句にならないと切り捨てているので、
はっきり言えばつまらない作品が生まれるのではないかと感じます。
誰が作っても同じ、生きるのは素晴らしい、あるいはつらい、みな思います。
それはみな思うのだけれど、それぞれが思い方は違うので、そこを表現して欲しいと願うからでしょうか。
思い方の違いを、何かに喩えて五七五で表すのは難しいことです。相手に伝わるだろうかと不安です。
いわば冒険です。でも、その冒険を敢えてしてほしいのです。
言葉の遊びとして、もっと楽に作って欲しいのです。
 ただ、わたしの感度が鈍ったので、つまり慣れてきたので面白くないと思うことも多いと反省しています。
Yさんはよく「これはいい」と誉められますね。みなさんは毎月あれこれ考えてか締め切りに追われてか、
その両方で作っています。ずぼらなわたしはその真面目さに感服します。でもそれと作品は別です。
Yさんは作家をご存じだから、つまりその句が出来た経緯を承知の上でのご発言でしょうから、以前は
そういう部分を感じ取ろうと選句の際、神経を張らせていたのですが、そうすると翌朝起きあがれないくらい
疲れるのです。ワインを飲み過ぎるせいかもしれないと、最近は口を湿らす程度にしていますが、
そうすると心が固くなって、それで物足りないとか面白くないとかいう気持ちが芽生えたのだと、ここまで書いて判りました。
 Yさんが、ワインを飲みながら俳句をすることに拘った理由がやっとわかりました。
 ショットバーという異次元で、俳句という器で遊ぶ。
そういう楽な気分で俳句を楽しみましょう。
 面白くないと不満を言いましたが、句会報を改めて見ると、いいなと思う句ありますね、
この手紙を書いて心が柔らかくなったのでしょう。それを挙げて終わりにします。
 台所では日曜日に取れた筍や蕗が待っています。甘い辛い酸っぱい渋い苦いの他にも、
えぐいやほろ苦いも旨味なのだから、俳句ももっといろんな味があっていいのですね。

 四十七回(二〇〇三・十二・八) 五八句
そのまんまの空だけはいつも見ていた  ゴン
地上には風が吹いている初冬かな   虎血
冬の梅芙美子の門司を黙々と     賢二
あきのよるゆうゆうとまうぼくの雪  風魔  (小五)

 四八回(二〇〇四・一・十九)   六三句
じっとしてじっとして見えるだろう、ねっ 結
はらわたに女唄ありうつの宵     伸子


 四九回(二〇〇四・二・二)   六五句
もくもくと食べ大寒の放屁かな    桔梗
雲一つ真っ正直に寒の空      ひろし
海にカバ木菟馬鹿ね大寒の屁にこそ死ぬなめ 又太郎


 五〇回(二〇〇四・三・一五)  七三句
紅梅はこんぺいとうのようである    我洲
梅二月櫻三月兵は逝く       もとお


 五一回(二〇〇四・四・五)   六九句
ため息の風船爆弾撒き散らせ      剛
春愁と答えて奴のメール止む     乱葉