わがままな精神科医の夏帽子
     
    ーシリーズ 街角の俳句会ー I
                                    

 去年、犬語翻訳の「バウリンガル」という商品が出たのに続いて、猫語を翻訳する「ミャウリンガル」が最近発売されたそうだ。
 ミャウと鳴いたら「お腹が空いています」とか「遊んで」とか翻訳するのだろうか。
 つい最近我が家に猫がきた。子どもが小さいときは十姉妹やセキセイインコや緑亀を飼っていたが、寿命で、あるいは過失で失った。亀は28aにも成長していたが、それが災いしてベランダに出て4階から落ちたのだ。冬眠期には放し飼いしていた。ピアノの下に潜り込んでいるが、わたしが座布団に座ると、その下に潜り込んでくる可愛い亀だった。
 それを最後に生き物は飼わなくなったのだ それなのに、はじめて彼を見たとき、心が動いたのだ。真っ黄色の大きな目。とても静かな動作。濃いグレイの毛に、胸の白。そして肉球は真っ黒。二日迷って決めた。
 はじめのうちは借りてきた猫そのもの、食事と排泄の始末をすれば、ほとんど鳴きもせず眠っていたが、だんだんミャウと鳴き始めた。それでああ、お水がなかったのねとか、もうお腹が空いたのとか、遊んで欲しいの?とかわかってくる。それは思いやりとかいうたいそうなものではなく、共同生活体での本能なのではないだろうか。それを、相手が何を訴えているのかわからなくて、犬語、猫語翻訳とは?まあ、お遊びだからと目くじら立てることもないが、この頃の世相からすると、赤ちゃん語翻訳機が製品化されるのではないかと、それが恐ろしい。
 俳句がわからないと言う人がいる。だからといって俳句翻訳機はない。。外国語俳句は論外にして、俳句は日本語で書かれているからだ。それなのに、俳句が難しいと感じる大きな原因はその短さにある。五七五のたった一七文字なのだから、時に「これは何を言いたいのか」と理解できないと思うこともあるだろう。
 句会で高点を取るのは、大体わかりやすい句が多い。はじめて二年以内の俳句初心の方は、俳句に込められた作者の思いがわかりやすい言葉で説明されている俳句を選ぶ傾向にあることは仕方がない。それに短時間で五句選ぶのだから、あとからこれが良かったのにと思うこともある。選んだ人の弁を聞いて、そう言う意味もあるのかと、選ばなかった不明を恥じることもある。それを繰り返して俳句が次第にわかってくるのだから、句会に出ることが、俳句上達の第一歩である。また句会に出られなくても、選句をすること。これも見る目を養うよい機会なのだ。
 そこで我が街角句会の高点句を、選ばない視点も含めて読んでいくことにする。

 三月句会より
  見つめ合うよろこび知らぬ雛人形 虎血
 特選三人他四人選。正面を向いているひな人形は見つめ合えない。恋の当事者だからこその見方で、共感者も多い。が、側に寄り添う喜びもあるよという向きはこれを選ばない。
  透明に生きたいと飲む寒の酒   子房
 特選三他二人選。作者の強い願いが心を打つ。しかし「透明に生きる」はきれいな言葉だが、抽象的で、しかも寒の酒と透明の重なりはくどいのではと思うと選べなくなる。

春の雨わたくしだけがずっとここ そら
 ひらがな表記のよろしさにも惹かれて四人選。柔らかいけれど、内容は重い。取り残された焦燥感、ついていきたいのに行けない苦しさ、そして諦め。それらを全部包む春の雨。何回も繰り返し読んでいると、ずーんと心に響いてくる。俳句はできるだけ具体的にと初心の時言われた。リアリティである。この句は春の雨とその中に立ちすくむ姿、これだけであるのに立ちすくんでいる理由を読者にあれやこれや推察させる力がある。つまり俳句は短いから、多くのことは言えない。だから言葉を選んで絞り込むことが必要になってくる。その例句として好適。

 四月句会より
  春来たる明日の命や今日の死や  虎血
作者の「死」への意識の強さに特選三人他二人と点が入る。季節が巡ることは、今日の死が明日は命になるという明快な理論。あるいは、今日死んだ人がいて、それ以外は明日生きるという普遍。どちらも永遠の命題で、より哲学的で、それを俳句にした勇気に点が集まる。
胸の中ちょっと疲れて春の宵  賢二
 春の宵のいささかの草臥れ感への共感が特選一人他五人と点を集める。ところが「ちょっと」というよく使われる言葉への抵抗で選ばない人もいる。胸の中ゆうらり疲れて春の宵

何時迄もすみれのように側にいる  藍
 この素直さへの共鳴特選一人他三人。甘い優しい言葉が並んでいるから恥ずかしくてと思う人もいる。俳句では「ように」と使わない方がいいとする向きもある。つまり簡単に俳句は出来る。そこを戒めたのだろう。

  春ぬくくそよそよ笑みのこぼれたりひろし
 風の吹き方をいう「そよそよ」が笑みに使われた意外性に共感し特選一人他三人。作者も「そよそよ」を得るまでずいぶん考えた。その努力が句に力を与えたと思う。

  生きるすべ紡ぎ出しつ日だまりに ムーミン
病気故、命の限りあるを知りながらこう読む作者を思うとき、言葉がどうのこうのと言う小手先の論は小さい。生きることの重さの
実感が生み出した言葉は 強く三人選。

 米洗う母の御背中春小町    ゴン
 愛らしいお母さんへの賛美。佳句。
  五月句会より  
春雨に待つ身の女刃研ぐ     八点
濃紺は輝いており春の葬 七点
 剛さんの句が注目を浴びた。本人は劇団のS県招待に向けて完全燃焼。だから句会には参加できなかったが、投句の責を果たし、だからこそのこの三句への点の集中。やっぱり神様はいて、一生懸命頑張っているものにご褒美くださる。本人もこの高点に「俳句やってて良かった」と述懐。

桜散る母の乳房をなでている  ほたる
 母の乳房をなでるという哀切さに特選二人他二人。老人介護と限定する必要はない。母の乳房への限りない愛を感じればいい。もっと点を集めるかと思ったが、乳房という言葉への羞恥心が邪魔したのかもしれない。

 六月句会より
  六月や不信の朝がやってきた もとお  不信の朝という造語を肯定するか否定するかで意見が分かれる。 

青嵐過ぎて鋭き新月や     乱葉
 写生句。新月は鋭いものだからと言ってしまうと取れなくなるが、その説明がぴったりと感じる思う人もいる。結局千差万別。

 梅ジャムを煮詰め前世を悔ゆるかなさとこ
2003.6 鍬塚聰子