わがままな精神科医の夏帽子
 
ーシリーズ 街角の俳句会ー H
                             
 催花雨の降る2月の下旬、「心の医療・福祉がこんなに変わった」というテーマで開かれた市民精神保健福祉の集い 」があった。
 去年は一市民として聴いた。今回は、障害当事者・家族・医師・看護士・保健士作業療法士・ソーシャルワーカー・ケアマネージャー・ヘルパー・介護サービス事業者・支援センター・福祉施設職員・マスコミ・市民・NPO法人の14名の中の市民として「変化の中で住みやすくなったか?」という壇上でのディスカッションに参加。
しかしそれぞれの立場でテーマに沿って語るには持ち時間三分は短かった。逆に言えば、三分で語れるほど簡単な現状ではないのだ。だから当然長くなり、ディスカッションには至らなかったのだが、問題点、疑問点をそれぞれ持ち帰って、そこでまた新たな展開が有るに違いないと信じることの出来る真剣さを体験した。
 わたしは、三年間街角の俳句会に関わってきたことから感じたことを述べたが、一番伝えたかったのは「言葉の力」である。七句取り上げたがその代表として一番に出した句は、
 一四三号のこの欄で取り上げた
  春雨が点滴の瓶に降っている  もとお
 句会は事前投句である。締め切りは前日としているのも関わらず、守らない(守れない)方が多い中で、早めに投句される貴重な人材なのだが、この句が届いたとき、実はわたしは春雨と点滴を詠った一句を作っていた。しかし、FAXで送られたこの句を目にし、自句は破棄した。初参加であるから、どんな方か全く知らないのに、この句の力に参ったからだ。
 そして予想通り高点句となった。このとき確かに「言葉の力」を感じた。
 彼が病気の奥さんを看護し最期を看取り、そこに流れた沢山の祈りや情愛がこの句ににじみ出ていたのだ。
 そしてそれを感じる素直な感覚、言い換えれば祈りを知る心がこの街角俳句会に在るという喜びも同時に戴いた。

  夕焼けに後押しされて手をつなぐ 蜜柑
 二〇歳のお嬢さん。これも初参加でしかも過去最高の十四点を獲得。実景なのだが、手をつないだのは蜜柑さんなのではなくて彼なのだ。そこが面白い。つまり自分の動作であれば、このような俳句にはならなかった。客観的に見ている蜜柑さんの静かな眼。しかし一方ではそれを嬉しがる心が句に力を与えた。

  友も増え笑顔も増えて冬黙る   虎血
 死を望むこともあった辛い日々を超えた現在の喜びは上五中七に押さえきれないように、あふれている。注目は下五「冬黙る」である。
俳句を常識として知る人はここを「春近し」とまとめる。しかし彼はそういう穏やかさでは満足できない。この強さに彼の再生の意志を感じる。

  柊のように生きてはいけなくて   剛
 柊の葉はとげとげが痛い。あのとげとげを親指と人差し指で挟んでふーっと息を吹きかけ風車をよくしていたのだが、あら今年はまだ一度も・・・・・これを書き終えたら・・ 節分には鰯の頭と共に玄関に置いて鬼を追い払う強さがある。しかし柊が古くなると、あのとげとげは消えて木犀の葉のように丸くなる。そのどちらをも含んでいながらこの句が生きる。一本気だった青年が演劇活動を通じてふくらみを身につけたのだ。型にはめず、はまらず彼は人間として生きていくだろう。
  冬の空たしかなものは何もなし  ひろし
  寒明けに空いっぱいの気持ちよさ ひろし
 冬の空の句は一月。寒明けは二月。現在の心境がそのまま俳句となる希有な作品。屈折も何もない。一月の不確かな自分。それを乗り越えた二月の心境。実によく出ている。今の自分をどうすれば言葉で表せるか、それを一途に思うなかで生まれた俳句には力がある。
 
  なつかしいよろこびたちを春という ゴン
 この句は一番好きな句ですとの前置きで紹介した。なぜなら「なつかしいよろこび」は今現在だけの喜びではない。過去にさかのぼり、自分が今ここに在るのは両親、そのまた両親・・・・・・・・そういう懐かしさ、また自分自身を見れば、過去のつらさから抜け出つつあること、現実の冬のつらさから春へと変わる喜び・・・・全てが「なつかしい」に集約されているからである。ゴンちゃんはそう意識して作ったわけではない。しかし、彼の生への祈りがこの句に力を与えた。

 この会のまとめに一句と司会者から言われた。彼らの熱い思いに比べたら、私の経験は薄っぺらである。そのとき思い浮かべたのは故人となったが俳句の師穴井太の
  生きていて生きたいというあつい舌

であった。会場全ての人、前の人も後ろに人も生きている。そして今現在だけではなく、過去を引き受けて生きている。そして一歩先へと生きようとしている。折しも雨であった。催花雨は早春に花や葉が芽吹くようにと降る雨である。暖かくはないが、暖かさを含んでいる。だから命が芽吹く、そういう雨がこのとき降っていた。
 春の雨前も後ろも生きている  さとこ
 
十一月句会より   出句十五人選句十六人
 月笑う一晩中の愛である     ゴン
 鏡面を磨く手にありオリオン座  風詩
 冬に入る牛乳瓶や朝の音     暮淡
 ジャズ聴けば皮剥く林檎の重さかなえの
 
十二月句会より   出句十四人選句十三人
 何もなきこともしあわせ冬ひと日 ひろし
 観覧車まぁるく月を盗みけり   もとお
 無施錠の秋天であり鯨幕     さとこ
 温もりを全部抱きしめ時雨かな  ほたる

平成十五年一月句会 出句十五人選句十六人
 湯に浸す乳房や寒のかなしみに   そら
 冬の雨一陽街つつ午睡かな     盲蛙
 コーヒーに入れる優しさ冬木立   虎血
 外套の内外にあり恋い心       剛
 年重ね”初”もなんだか色褪せて やする
 風冴ゆる待合室は咳ばかり     賢二 
二月句会より  出句二十人選句二十人 
小春日や枠をはめずに今日を生き  目白
 満月の咎めるような寒さかな    乱葉
 ねこやなぎこころなしかのあたたかさ風詩
 寒ゆるむ畳廊下の御足かな    そら
 北風のなかに子どもいないと老婆言う楽竿
 春寒や影を映して砂時計     賢二
 寒椿夢なら残れ君を恋う     さくら
 清白を洗う手紅く冴え返る    盲蛙
  
はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。言葉ははじめは、神と共にあった。全てのものはこれによって出来た。出来たもののうち一つとしてこれによらないものはなかった。言葉には命があった。そして命は人の光であった。ヨハネ福音書

 日本にも言霊信仰があった。言葉には魂がある、霊がある。目に見えないものを信じる人の心の素直さが あった。
 現代人は、言霊信仰を過去の遺物としていないだろうか。目に見えるものしか信じられない体質になったのだろうか。テレビという映像が言霊信仰を壊したのだろうか。そうではない。単に忘れているだけだ。祈りを思い出そう。言葉を信じよう。
 眼に見えない何かを信じることで、目に見えない何かが生まれると信じるのは脳天気ではない。信じることは祈ることだからだ。
2003.2