わがままな精神科医の夏帽子
     
    ーシリーズ 街角の俳句会ー G
                                    
 歳時記を眺めていると知らない事がたくさんある。
 たとえば月といえば俳句では秋。他の季節で月を言いたいときはおぼろの月とか凍る月とか季節を表す言葉、あるいは直接に夏の月というように季節を明記する。それはやはり秋の月が一番美しいという美意識によるからだとなんとなく納得する。夜長に月を眺める心持ちは、やはりいいものだ。
 それで芋名月とか栗名月とかも知った。一番驚いたのは十六夜は仲秋の名月の翌日の月をさし、十三夜は翌月と限定されていること。 お月見は仲秋の名月だけでなく、名残の月と称して陰暦九月十三日に栗や豆をお供えしてする風習があったらしい。その十三夜のことで、わたしはずっと思い違いをしていた。
 三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)の大川端庚申塚の場での
お嬢吉三の台詞
 月も朧に白魚の篝も霞む春の空・・・
 それから「河岸の柳の行きずりに」で始まる「十三夜」の最後の部分
  青い月夜の十三夜
 これがごっちゃになって
「おぼろ月夜の十三夜」とずっと思っていたのだ。口調がいいではないか。しかし十三夜が陰暦九月十三日の月と知ると、もう恥ずかしくて口に出せない。なにも知らなければ「昼三日月」と言えるのと同じだろう。三日月は西の空、夕方にしか姿を現さない。明け方に細い月がかかっているのは二十五日以降の、もう消えて無くなる月である。心象としての昼三日月は構わないが、写生俳句であれば、それは間違いであるから、ムードで使って欲しくない。
 ところで太陽暦以前の日本では、月齢がすなわち日を指すので月への関心は深かったと推察できる。わたしたちは暦、カレンダーではなく、を見なければ、今日の月が何日の月かわからなくなっている。大学の地理の講義で、始める前に黒板の右上になにやら計算して月齢を出す教授がいた。まじめな生徒だったわたしはノートにせっせと写した。写しただけで頭には入っていなくて、そのノートも物置にあるのだろうが見あたらず、気になっていたので、俳句の同人誌に「月齢の計算方法教えてください」と書いたところ、下記のような計算方法を教えてくれた人がいた。うっすら覚えていたのとは違う計算方法だが、ちゃんと月齢は出る。
まず各月の修正値をMとする。

│月│1│2│3│4│5│6│7│8│9│1│1│1│
│M│0│2│0│2│2│4│5│6│7│8│9│1│

一月一日が月齢1となる基準年をYoとする。
Yo=1930・1949・1968・1987  2006・・・(十九年おき) 
月齢を知りたい日をDとする。
月齢を知りたい日の年をYとする。
(YーYo)×11+M+D
これで出た数から30の倍数を引くと月齢が求められる。
2002年11月19日の月齢を計算してみる。
(2002ー1987)×11+9+19=193
193ー(30×6)=13 十三日の月。 今年の仲秋の名月は九月二十一日だった。計算して見ると
( 2002ー1987)×11+7+21=193
すると月齢は13になる。おかしい。これくらいの誤差はいいのだろうか?ご存じの方、教えてください。
各句会の高点句より
  第29回 6月23日《月齢12》
ブルースやぽろぽろぽろぽろさくらんぼさとこ
 単にリズムの良さ。漢字多用の俳句群にこの句が混ざると柔らかさで得をする。

くちなわの交わりおりし五月闇   風詩
 くちなわは朽ち縄。蛇の形状から生まれた古語であろう。蝶やトンボが番っているのはみたことがあるが、蛇の交わりはどういう風なのだろうか。五月闇がその様子をおどろおどろしいものにしてしまうようだ。人間と違い自然の営みは神秘であるにしても。

肺門の暗がり過ぎてほととぎす   そら
 鳴いて血を吐くホトトギスという名文句がある。結核とわかった正岡昇はホトトギスの漢語子規を俳号としたそうだ。

第30回7月22日《月齢12》
黒崎の七月は雨のふくらはぎ    そら
 イメージが鮮明になるから地名は俳句では非常に効果的である。

初夏のもっとも寂しい薬箱     さとこ
 寂しい薬箱とは?と考え込まないで欲しい。さわやかな初夏に古い木製の薬箱がぽつんと置かれている。そんな風景をイメージしてほしい。俳句は意味ではなくイメージの喚起だ。
薫風や傍に人居り古障子     賢
 薫風に対しての古障子が、落ち着いた生活を想像させる。清貧の生活と称したい。

  第31回8月26日《月齢17》
炎暑かな梅干し一つ皿に載せ   盲蛙
 今年の夏は暑かった。その暑さを沈める働きが梅干しにあり、しかも欲張らずにひとつというところに潔さがあり好感を持つ。

冷麦や夕刊届きし音すなり    榎
 これも清貧のよろしさ。ことっと夕刊が入った音。新聞配達のバイクの遠ざかる音。冷麦を静かにすする音。

秋暑し子はのぞみにて上京す   賢
 新幹線「のぞみ」で大きなのぞみをもって上京する子。いい風景ですね。

鬼の目のような三日月夜の秋   もと
 三日月を鬼の目と喩えると心象風景になる。喩を使う事が俳句をふくらませるが、リンゴのほっぺというありふれた喩では効力がない。。

  第32回9月9日《月齢1》
過去帳に一行加え夏終わる    乱
 過去帳の言葉の重み。大事な人が亡くなっても、それも一行で終わる寂寥感、喪失感がさりげなく、しかしずしりと出ている。
ゆうるりと漆黒の羽 風あげは   そら
 揚羽蝶の優美な動きは俳句の題材に多いが「風あげは」の言葉の秀逸さに注目したい。

はつあきの爪うつくしき男かな   さとこ
 なよなよした男性ではなく、きりっとした男を想いながら、と言うと笑われるだろうか。

訃報聞く檸檬という字はむつかしく もとお
 檸檬が薔薇では相応しくない。智恵子抄を思い出す佳句。

第33回10月7日《月齢0》
並び寝るそのへだたりの良夜かな  そら
 生まれるときも死ぬときもひとり。孤独感をそれぞれの実感として抱き、共感。

新涼や友に出したるふかし芋    もとお
 芋の温かみが手に伝わる。心に伝わる。

風はもう暑さをおさえ透き通る   ごん
 風が透き通るは、よく使われるけれども、その平易さがいい。これも実感から生まれた句だから力がある。

点滴の支柱握りし今日の月     賢
 「今日の月」は仲秋の名月のこと。点滴を受けていても名月を愛でたいという風流心。これは一種の美学である。
2002.11 鍬塚聰子