わがままな精神科医の夏帽子
     
    ーシリーズ 街角の俳句会ー F
                                    
 おびただしい死よ垂直に曼珠沙華 そら

 前号のこの句を覚えていられるだろうか。わたしは見る目があったと自画自賛したのだが、この句が平成十四年度の毎日俳句賞の秀逸に選ばれ賞金を得たのだ。何万句と集まる応募句のなかから一次予選を通った俳句でなければ、発表されている選者の目には触れない仕組みであるそうだ。俳句人口の多さからも、賞金付きの俳句大会にはごまんと応募がある。
 話が逸れるが、江戸時代の俳句の会には賞品は付き物だった。羽織であったり、お茶であったり、高点をとると良いものが貰えたので、点を取るのに夢中の俳人もいたらしい。
 今は俳句は趣味の世界で、お金がかからない暇つぶし、惚け防止であると宣伝されている。俳句だけで生活できたのは高浜虚子。事業家俳人と言える。今だったら、大きな結社の主宰だけと憶測する。
 江戸時代の俳句の宗匠は句会を開いて俳句を集め、添削や指導で生活できていた。芭蕉然り。今日有名な小林一茶は、多作で知られてはいたが、俳句で生活はできず、江戸では乞食同然だったとか。これは芭蕉が武士の出、一茶は農民の出という出自にもよると、ある研究家は述べている。だが、それは時代背景に関係するとわたしは考える。芭蕉は文化爛熟の元禄時代に生きた。小金のある旦那たちは競って俳句を楽しんだろう。芭蕉の指導を仰げば箔がつくから、かなりの謝礼をはずんだはず。だから、芭蕉はそれがいやで漂泊の旅を続けたのだが、それは裏返せば乞食願望なのだ。
 乞食になりたくなかった一茶は運が悪かった。田沼意次失脚の引き金にもなった天明の飢饉は彼の二十代のことである。その少し前に与謝蕪村は蕉風にかえれと、天明調俳句を提唱したが、彼はすでに画家として立っていたので、生活は安泰だったろう。
 わたしの少ない経験だから正確ではないが、現代の多くの俳句結社での俳句大会は大会賞とか何々賞とかあるいは秀逸、佳作といった栄誉だけで賞金は出ない。俳句は文芸だから、お金とは無縁であるという自意識が俳句会にはあるのだろう。抵抗勢力だからだろうか。貧乏所帯の結社しか知らないのだが、安っぽいトロフィーと賞状、副賞に色紙だの付く場合もある。同窓会のビンゴの賞品がよっぽど役に立つ。
 それで十年以上も前だが、新年俳句大会を任された仲間と計らい、賞状は廃止し賞品を付けた。味噌屋がいたこともあり、米十s。味噌五s。紅鮭一尾。それらは勿論目録ではなく現物で渡した。俳句で飯を喰おうという洒落。
 あれこれくだくだと書いてしまったが、仲間の入賞ならびに賞金獲得は非常に嬉しいことである。
 ただ、非常に書きづらいのだが、この街角俳句会を始めたメンバーの一人の自死の報に接し、暗澹たる春であった。彼の追悼句集を編み、霊前にそなえたのが僅かな慰め。
  残月や弥生の空を男飛ぶ    そら
  声太き男春風連れ去りぬ    聰子   早生や早咲きの花甲斐もなし  くに 

第二五回句会2002.2.18
  春雨が点滴の瓶に降っている   もと
 高点を攫った。初の句会参加で他の二句にも点が集中。ビギナーズラックだと無点の某俳人はからかうが、この句に流れる静けさは
本物である。病気の奧さんの看護の何気ない点景だろうが、亡くなられた今となっては心に沁みる。俳句は虚構も詠めるが、真実の迫力にはかなわないとこの句に感じる。
  初日さすわたしの手のひら喜んで 夏日
 初日の出を拝んでいる「わたし」あの唄のように手のひらに太陽をすかしているのかもしれない。そして「手のひらが喜んでいる」と感じた。この素直さがいい。俳句に「わたし」を使うな、擬人法も使うなと指導する先生もいるらしいが、気にかける必要はない。思いをいかに簡潔にそして豊かに相手に伝えるかが俳句を作る目的なのだから、俳句らしい俳句と言った世迷い事に耳を傾けなくていい。
  冬の波わたしのこころを弾いている ゴン
 これも夏日さんと同じだ。

  心中をしてみたくなる炬燵かな 風詩
 炬燵で心中?練炭炬燵の一酸化中毒死?なんて巫山戯てはいけない。しっぽりと炬燵で濡れ、その満足感に「もう死んでもいい」・・・という設定か、一人でぽつねんと炬燵に当たっていると、ああ心中してみたいなあとの儚き願望か。心中という言葉が俳句に使われたのが印象的だったので、4点も入った異色作。
 俳句人口の多さ、一人が一句作っても、一日に何百万句と生まれる。そこで目に留まるのは、自分が見て詠みたかった情景をうまく纏めている俳句、あるいは思いつきもしなかった言葉を使っている俳句だ。後者は拒否される率が高い。
  古池や蛙飛び込む水の音
 小野道風が柳に跳びつく蛙を見て、努力こそ宝!と悟った話は胡散臭くてもなんとなく納得していたが、蛙が古池に飛び込む俳句が、小学生でも知っているほど何故有名なのか腑に落ちなかった。大学で古今集を勉強し解けた。
 古今集の仮名序に「花に鳴く鶯、水に棲む蛙の声を聴かば、行きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける」とある。蛙はその声が春を知るよすがとして賞翫する伝統があった。 芭蕉は蛙の鳴く声を愛でるという伝統から外れ、蛙が飛び込む水の音を詠んだから、その革新により有名だったのだ。ここに於いて蕉風が確立されたと。
 「蛙の歌」は昔よく歌っていた。今でも「げろげろげろげろげっげっげ」と歌える。しかし蛙は夕方しか鳴かないと言うのも最近知った。だから、もしこの句が芭蕉の句と誰も知らない句会で出されたら、点が入らないのではないかと思う。

 第二六回句会 2002.3.4
  死ぬ日へと土に立ち初む青い芽よ そら
 命あるものは全て死ぬ。どのように生きたってどうせ死ぬのだから仕方ないとは思わない。精一杯生きるために小さな芽が顔を出したのだ。大きくなって花を咲かせ実を結ぶかもしれない、反対にすぐ枯れるかもしれない。でも、天に与えられた命を生き、天に帰るために芽を出すのだ。当たり前のことを取り上げて俳句にする勇気をここに見る。
  温き闇深き淵より沈丁花    くに
 沈丁花がどこからともなく香る早春の景のよろしさに特選二人。闇と深き淵が同じレベルなので、 ひとり居の温き闇より沈丁花
 
 第二七回句会 3.31
  初音聞きいずこに在りや風に問ふ 暮淡    草ゆれる風はどこから春まねく  ゴン
 毎年春はやってくる。それを当たり前と思うと詩人にはなれない。驚く、不思議がることが詩の根源。

海峡の景色動かし春の船  ひろし
 船が動いているのだけれど「景色動かし」と工夫が見える。体言止めが効果あり。

  芹摘みを記憶の中に飯を食ひ 賢
 芹は摘むのではなく、お店で買うもの。
現代社会への嘆き。自分への嘆き。
 
あじさいにでんでん虫のいたあの日 虎血
 初参加。この日以来もう何百句作ったことか、その熱心さに感嘆。多作多捨。その中に秀句が光ってくる
 紙面が尽きた。ほかに佳句・良句・
手仕事を終えて昼餉の薄暑かな えの
筍の皮に秘めたる黄金比    盲蛙
明日もまたこの新緑は輝けり  めるも目覚めれば桜流しの雨の音   ほたる
2002.08 鍬塚聰子