わがままな精神科医の夏帽子
     
    ーシリーズ 街角の俳句会ー A
                                    
 新しい年は辛巳(かのとみ)。西暦2001年、二十一世紀だと知っていても、この呼び方を知る人は少ないようだ。
 十二支十干から生じた「干支」のいわゆる子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支による生まれ年は小学生でも知っているが、さて十干の甲乙丙丁戊己庚申壬癸は、成績がこれで出されていた時代は遠ざかり、わずかに甲乙付けがたいといった表現でしかお目にかかれない。わたしもこれを書くのに、辞書の丸写しをしたことを白状しよう。
 暦は中国から伝来したのだから日本固有のものではないと言っても、例えば壬申の乱は、西暦六七二年に起きた天智天皇の崩御後、息子である大友皇子と弟である大海人皇子(天武天皇)の皇位継承争奪戦だが、壬申つまりみずのえさるの年として日本の歴史に残っているのだから、現代人もこの干支をもっと意識したらいいのにと強く思う
干支もそうだが、陰暦も復活させたい。陰暦すなわち月暦である。空に懸かる月が即ひにちであった。夕方西南の空に三日月があれば、三日だ。昼見える月は、下弦の月で、二十日以降になる。
 日が沈むのとほぼ同時にふっくらとした望月が昇るのが十五日である。
 蕪村は春の夕ぐれ、月の昇るのを見て
  菜の花や月は東に日は西に 
 万葉集の中で柿本人麻呂は暁に
ひんがしの野に陽炎の立つ見えて
 かへり見すれば月傾きぬ
と満月の沈む様を歌った。
 いずれも十五日のことである。
 そういう暦を使っている国はアジアにはたくさんある。あの旧正月を祝う国々である。最近、内蒙古の馬頭琴を弾く若者と知り合ったが、誕生日を聞くと陰暦で答えてくれた。年長者(つまりわたし)を敬い、礼儀正しいし、なにより故郷を愛している。明治維新前後の青年はこういう目をしていたのだろうか。 
 西欧文化が全て素晴らしいと採り入れ、千年以上の古い日本文化を捨て去った日本は、その心まで捨て去ったのかもしれない。
 月を見る余裕がない。ビルばかりで月が見えない。でも、月は空にある。高さ百メートルの観覧車が出来ようが、パチンコ屋のレーザー光線がまばゆかろうが、月は東から出て、西に沈む。
 年中、月は空にあるのだが、季語で言えば月は秋である。街角句会も長月から霜月までの三ヶ月に出た月の句(星も)を列挙してみよう。
1月土産ひとり酒のむ兎かな ゴンほたる合作
2傘のなか月はぼんやり涙色    ほたる
3月碧くやがてかなしくかぐや姫   〃
4送り盆静かに流れ月満ちて 〃
5真夜中にひとり味わう月見酒   ゴン
6赤い月なにかたくらむあやしげに  〃
7思い出を酒の肴に秋月夜      河
8帯解きてまみゆる月の輝きぬ    〃
9君も見ん皿倉山の後の月      國
10小夜冷えに虫の声枯れ月白し    〃
11良夜なり酒肆を出ては酒肆に入る  榎
12近き灯を全部束ねて秋の月     ひろし
13星月夜涙こぼれて言葉無く     剛
14ぽけっとに良心しまい神無月     〃
15われは管と穴と皮 良夜なり    結
16星飛んで奈落の底が胃腑にある    〃
17三日月や休みに家族でマクドナルド  優
18月の中秋桜と君遊んでる      ひろ
19家霊みな目覚めていたる良夜かな  聰子
20水底の女殺めし月夜かな      〃  
 三回の句会の合計が一二四句であるから、そのなかに二〇句も月の句があるのは、かなりの頻度といえる。前もって題を出して、それを作ってくるのを兼題という。私たちの句会もはじめは兼題を出していたのだが、いつのまにか何でもありになってしまった。それで、この三ヶ月に月は兼題では出ていない。けれど、こういう風な数字で月が出てくると、嬉しくなる。日本人の月を愛する風習は廃れていないと。
12近き灯を全部束ねて秋の月     ひろし
 これは五人中四人の転を集めた句である。近い灯を全部集めるという判ったような判らないような、それでも何となく秋の月のよろしさが感じられる。不在投句で、一度も会えない人なのだが、いつも点が入る。たとえば
 大輪の菊の蕾を切り落とす
という大胆な句も耳目を集めた。蕾なのに大輪なのか?という疑問も出たが、大輪を育てるためには蕾を一つだけにするという菊育ての実際より、ぱちんと花鋏の音を立てて蕾が切り落とされた事実がクローズアップされて、ぞくっとする。
 この句会の特徴は男性が多いことと、若いことである。最年長者は60歳になっていないと言えば、それだけでも若いと言えるし、二十代もいる。そういう年齢層で月を詠むのだから、俳句はあと一世紀は大丈夫だろう。
 さて、十月は「愛・恋」の兼題でみな苦しんだ。その時の作が9・13・20であり、
  初恋はカワセミ走る川面かな  國
  なにもない新居に二人笑ってた  優
陽を吸って川よお眠り花芒 結
軽々と愛の告白青すすき    聰子
 俳句の前身である連歌あるいは連句は乾坤を一巻のなかに具現するのを目的とするから、森羅万象歌わぬものはない。月と花は定座があるし、恋句のない連句は、数の子や黒豆のないお正月のようで詰まらない。
 ところが現代人は恋句を苦手とする。ひとつには日活ロマンポルノに圧倒されて、恋句が出来なくなったのではないかとひそかに推理するが的はずれだろうか?
 あるいは恥ずかしがり屋の日本人が増え、愛だの恋だの口にするのは・・・だからこそ、恋や愛を言葉にしないで、婉曲な愛や恋を歌うのが文芸であるはずなのに、昨今の俳句や短歌にあまりそういう例が少ないのは残念なことである。
 俵万智さんの「チョコレート革命」黛まどかさんの「B面の夏」は恋の歌であり恋の句であるが、そのぬけぬけしさに二度とは読めない。
 ある日「芭蕉の恋句」という本を見つけて、あの芭蕉も恋句を作ったのだと愉快になったことがあるが、それは連句の、芭蕉が作り出した歌仙の形式(例の三十六歌仙から、五七五の長句、七七の短句を三十六句連ねる)では二箇所計五〜六句恋の句を作るのだが、その恋句であった。
 江戸時代の俳人ですぐ浮かぶのは芭蕉、蕪村、一茶である。芭蕉から約百年後の蕪村や一茶は結婚した記録は残っているが、芭蕉にはない。恋人ではないかという女性もいないことはないし、「われもむかしは衆道ずきの・・・」という一文を残しもしている。しかし漂泊を人生とした芭蕉は恋愛感情とは縁遠い世界の人だという先入観が誰にもあるようだ。
 芭蕉の恋句に関心を持たれる方のために。  打ゆがむ松にも似たる恋をして  芭蕉
 県の婿のしり目なる月     桐葉
 貞享四年「磨なほす」の巻
 さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
   浮世の果は皆小町なり     芭蕉  元禄三年「市中は」の巻
 (岩波新書「芭蕉の恋句」東明雅箸より
 最後にわたくしの今季最好の句
  秋刀魚焼くついでに婆ちゃん焼こうかな
ほたる
 だれもが口を揃えて、穏やかで優しい人と誉める。だからこの句が強く響くのだ。
2001.6 鍬塚聰子