作品展望161「樹」167号を読んで

     やったぜ  悪のススメ          鍬塚 聰子         
二月十八日、あの有名な松橋登さんと同じ舞台に立てた。嬉しかった。でももっと嬉しかったのは劇団MAMの仲間達の詩の朗読の練習を一緒にし、その命の声を実感したことだ。なにしろ一月三十一日にTさん結さんと打合せし、十八日後には本番だったのだから、その集中は凄い。しかも舞台の黒崎ホールでは本番の午前中に通し稽古。元映画館現カラオケホールの照明は三段階しかできないが、それを最大限に駆使して、本番の成功に導いたのは結さんの優れた脚本監督演出でもあるし、照明音響アナウンスのFさんの力でもある。たった一回のリハで、ある人は上手、ある人は下手から入場、退場もそれぞれ違うのに、何の齟齬もなかった。そして何より素晴らしかったのは、それぞれの詩の朗読である。全体練習はわずか五回足らず、しかしみんなみるみる上手くなった。アナウンサーのように読めるというのではなく、詩をよく読んでそれに心を添わせての朗読である。技術ではなく心である。人の命がそこにはある、と思った。わたしは生来声が小さい。でも、それでは駄目と彼らに教わった。お腹の底からの声が、彼らのお陰で出た。やったぜ!嬉しかった。ありがとう。
  けりかりも雑炊の中句座終る     林  照代
 ちょっと気の張る句会だったのだろうか。それも終って食事の雑談で気持ちがほぐれている様子がよく伝わる。
ふと思いついて調べてみた。三月号の樹集には「けり」一句「かり」一句であった。念のため二月号「けり」三句「かり」無。(動詞の已然形の活用語尾の「け」+完了の「り」の「けり」は省く)語尾に注意してみていると「かな」が多い。それぞれ十二句十句とあって驚いた。『樹』の傾向と対策?かな。

  故郷に広き空ありもの芽出で     林 輝義
 なんとなく鬱屈するものがあったのだけれど、空は宏じゃないか、ものの芽も出てきたではないか、と思い直している輝義さん。死ぬまで仰ぐ故郷の空である。

  大寒の日をぐつぐつと煮て過ごし   呆  夢
 大寒の一日をたとえばおでんや風呂吹き大根かな、それを煮ていると出来たのだろうが、まるで大寒をお鍋でぐつぐつ煮ているような面白みがあって、味がある。同じく
  母ありて子在り立春肩すぼむ     呆  夢
母からしか子は産まれない。当たり前なのだが正論だと、なんだか鼻白むことがある。それが「肩すぼむ」に洗われている。一体だれが肩をすぼませるのかが問題なのだが、それにしても一抹の哀愁があり、味がある。

  二月の橋わたりやさしい病院へ   堀井 芙佐子
 二月は寒い。病院は喜んでいくところではない。でも、芙佐子さんはそれを逆手に取る。橋を渡るという行為は何かを乗りこえる喩。すると病院も「やさしくなる」まじない。「やさしい病院」を医師も看護士も優しくていいわね、の意味でとると橋がまったく無意味になるだろう。

  満員のバスに三寒詰め込んで     宮本 千賀子
 寒くて着ぶくれて満員のバス、ただそれだけのことなのだが、おかしみがじわーと伝わって、裏も表もなくてすっきりしている。

  ずんっと開く一升瓶も春の音     依田 しず子
 この句を見て、ああそうだったと一升瓶の日本酒を傍らに置く。以前この欄に「飲みながらでないと筆が進まない」と書いたこともある。今は「飲むと筆が進まない」寝てしまうからだ。弱くなったなあと半ば嘆きあきらめ飲みながらこれを書く。向後文がおかしかったら誤植ではなく酒のせいとお許しを。さて「ずんっと」という擬音に惹かれる。日記広場では先日恒例のアロエ化粧水作りをした。材料はアロエ一〇〇c無農薬檸檬一個日本酒三カップ。で、皮を剥いたアロエと薄切り檸檬(種も入れる)をいれた硝子瓶に日本酒を注ぐ。先ず一升瓶の蓋を開けることから子どもはする。なかなか開かないのだが、開いたときの音が好きで、何回もやってみる子もいて楽しい。幼くて開けられないだろうからとおとなが開けてやるのは良くない。先ずやってみる。何回も試みる。どうしても開かなかったらおとなが開けても良いが、五才でも開けることは出来た。開けたときの嬉しそうな顔。おとなは手助けしたつもりで実は子どもの喜びを摘み取っていることがある。しず子さんの句に戻ろう。「ずんっと」で音と判るから「春の音」は重ならないだろうか?「も」が気になる。「一升瓶は春の音」というすっきりさが私は好み。しず子女史許されよ。

  やもお傘寿の昼風呂風邪ゆえ許されよ 足立 雅泉
 寡婦に対して寡男。漢字で書くとわびしいから「やもお」雅泉さん、八〇才におなりなのですか、お若いですね。(いえ決して酔ってるからの言ではありません)風邪でなくても威張って昼風呂にお入り下さい。

  立春や飛び立つ鳥と手のしびれ    穴井 栄子
 立春はまだ寒い。寒いと痺れやすい。現在二四才の次男が小学生の頃からわたしは手の痺れを覚えた。(いえ、アル中では決してありませぬ)末梢神経の何かであろうか、だからボタン付や雑巾縫い、運動会のゼッケン付は本人の仕事だった。ふくれた顔とおぼつかない手で時間はかかり不揃いだけれど出来た。不憫と思うのは一時のこと、長い目で見れば自立促進。今はたまに体調が悪いと箸持っても痺れるときがあるが、自彊術でなんとかいい。栄子さんもいつもは感じない手のしびれを「あら鳥が・・・」と思ったときに感じたのだろうか。

  七草を摘む籠ことに大きかり     井上 ちかえ
 春の七草はほんの少しでいい。だから摘み入れる籠が殊更に大きく感じるという実感の句。そこで初登場の「かり」これは過去の助動詞「けり」の東国方言で万葉集に見られる。川崎でよく使われるとしたら、雅語古語で素敵。

  正直に馬鹿はつけない葱坊主     江島 ひろみ
 葱坊主のあの真っ直ぐさは「正直」そのものだ。それに安易に「馬鹿」なんかつけないでいいよと感じたひろみさん。これまでは「正直に馬鹿をつけたる葱坊主」と作ったと思う。なにか会得したんだとこの句を見て嬉しい。

  大欠伸しても一人の雪籠 小野 カズ
 一人だと欠伸も気兼ねなくできる。でもやっぱりひとりなのよねぇというカズさんのため息が聞こえそう。

  帰る鳥来る鳥豆が煮こぼれる 小森 清次
 うまいなあ。自然の営みと人間の営みとが自然に流れている。そこには衒いも工作も偽装もない。生態系のなかの人の営みの自然さに憧れるから、この句に心惹かれる。

  黒猫が雪原を跳ぶ目がむらさき    鮫島 康子
 黒猫の目がむらさき!魔女の猫だ。我が家の猫もも太郎は、写真に撮ると目が緑色で、魔女猫っぽい。ただ、黒ではなくシルバーなので凄みがないのが欠点。

  語り合う友も私も冬の婆       島  貞女
 貞女さんは婆というお歳ではありますまい。しかしこの「冬の婆」がいい。だから「友と私は」と断定して欲しい。すると「冬の婆」がもっと生きてくる。

  歯の麻酔効くを待つ間の名残雪    澄 たから
 名残雪は春になって降る雪、春になっても残ってる雪、どちらの意味もある。どちらにせよ儚い。歯の麻酔と名残雪の取り合わせがいい。大きな手術の麻酔は恐いけれど、歯の麻酔は手軽だ。それがなんだか頼りなく、名残雪の語感にぴったりあっている。こういう言葉の取り合わせを得たたからさんは、神の恩寵を受けた人に違いない。


2006.4  「樹」168号掲載