作品展149「樹」155号を読んで

 天衣無縫に悪のススメ        
 鮫島靖子さんから句集『梅』をご恵贈いただいた。第一句集「榛の木」は一九八三年に天籟句会で拝領。今取り出してみると、序は金子兜太、跋文は坂口涯子に穴井太。この年に九州俳句賞受賞という素晴らしい句歴を加えられている。俳句をやっとはじめたものの、やっぱり俳句って難しいと尻尾を巻いて逃げようとした時に『榛の木』を読んだのだった。えー、こんなに自由でいいんだ、と嬉しかった。勇気が出た。これは岸本マチ子さんの『ジャックナイフ』を読んだ時にも感じたことだった。言葉が生きている。情景模写の範囲を出ない面白くない俳句ではなく、作者の感情を通過してきた言葉が選ばれてそこにあるという新鮮な俳句だ。

  トマト食す哀しいほどに自由なり     康子
  榛の木より静かに少女欠けていく      〃
 だれか著名人が誉めたり解釈したりするから秀句なのではなく、作者の感情が深く沈められ、それなのに作者以外の人には書けない突き詰めた鋭さを感じられるから秀句なのである。それに天衣無縫という無邪気さが加わるから、楽しくなる。康子さん、ありがとうございます。

春隣り畑の土を天地して       小野 カズ
 種まきの春が近いから、畑を耕した。ただそれだけなのだが「天地し」てという使い方がいいなあと思った。天地無用は逆さまにするなという意味なのだから、、天地するのは逆さまにする意。天地も農業用語なのだろうか。

  曙がどしんと倒れカニサラダ     小森 清次
 雪となる夜のオムライスも面白かったが、前号に綾子さんのオムライスを三保子さんが樹界逍遙で書かれたので割愛。曙(お相撲さん)の巨体が倒れたことと、カニサラダの関係はは百通りもの説明が出来るだろう。そのどれかひとつが正しいのではなく、どれもがあり得る情景なのである。正しく立っている俳句なのである。ハムサラダでは駄目。蟹の肉の白さが曙とオーバーラップするところがいい。ハムでは汚くなる。あるいはロースハムというように限定すると、誤解される。俳句の母胎である俳諧みに溢れている。芭蕉が愛した侘び寂の一歩手前の「軽み」だから微妙な陰翳がある。一歩手前という言い方も誤解される。芭蕉には同列であったろうから。
 縁あって新潟十日町樽沢地区の支援をしている。十日町市稲荷町にあるギャラリー六坪さんが絵はがきを売って、それを義援金にしようと計画した。中越地震のもっと前二〇〇二年に岡本雄司という画家が樽沢地区をスケッチした。それが六枚組の絵葉書になった。一セット五〇〇円。そのうち二〇〇円がそっくり義援金となる。我が家の近くの寒緋桜は、咲きそうだが、新潟の仮設住宅はまだ雪の中。雪が解けてから本格的な復興が始まる。出来る形での応援をと思って、絵葉書を取り寄せて、戸畑ではベガという靴屋さんとゆんたす珈琲店に置いて貰っている。お問い合わせを待っています。

  寒月や木っ端微塵の私であり   鮫島 康子
 一月号に手首の軟骨損傷と書かれていた。その一ヶ月前は足指の骨二本折られて、それでたった一回の欠稿というのは凄い凄いと感心していたら、その合間に句集を準備されていたとは、康子さんのねばりある二枚腰には兜を脱ぐ。第一句集当時と、印象は全く変わらない。いろんな苦労がありながら、他の人にその苦労を察しさせず、いかにも軽々とそう、天衣無縫な方だと思わせるのはどうしてなのだろう。康子さんの無邪気な笑顔のフアンは多い。トマトを西瓜に変えるような俳句作品の盗作は言語道断だが、康子さんの生き方を盗めるものならと熱望する人は多いだろう。わたしもその一人である。

  二つ家の間に落ちる冬日かな     野田 アサエ
 あるようでいてめったにない情景である。何時も同じ所に日は没するのではない。少しずつずれている。家と家の間に夕陽が沈む光景を見たアサエさんの幸運を喜ぼう。若い時だった、夕方バスに乗っていたら夕陽が見えた。ずっと見ていたら、電線の上をきれいにするするーと転がったのである。バスの速度と道のカーブと夕陽の落ち方と私の姿勢とが一致したのだろう。まったく神の恩寵のような瞬間だった。それ以来夕陽を車中で見る時は、気をつけているのだが、ない。 

 『海やまのあひだ』寒冷前線下    羽犬塚 結
 折口信夫としても釈超空としても有名な歌人の歌集が『海やまのあひだ』<この二つの大きな自然に脅かされてせぐくまって住んでいた祖先の生活>を感じ、<日本人の恐怖と憧憬との精神伝説を書いて見たいと>旅を・・・ほとんど徒歩で・・・したのだそうだ。志摩から熊野へ至る複雑にいりくんだ海岸線には、いくつもの岬、小さな港がありまさに「海やまのあひだ」である。このときの同行者は、人見知りする折口信夫が教壇で彼にのみ注目して授業をしたという伊勢清志だ。大正十三刊行のこの歌集は、同性の若い友人への愛情から生まれたのだろう。海のみが漢字のこの歌集の持つ雰囲気と「寒冷前線下」の漢字が拮抗し、詩が生まれる。

  母の欠け父の抜けてる初写真     増谷 信一
 正月家族一同写真を撮る。ところが母上も父上も・・・しかしじめじめしていない。家族の死は悲しい。しかし受け継いでいる命の中に、魂の中に死者は生きている。生活の全てに存在しているからである。写真には写っていないけれど、お父さんお母さんが自分の中に生き続けているという確信が信一さんにあるから、こういう句が生まれた。

  さざんかのひとひらひらとちらしがき  穴井 禮子
 椿はぽとっと落ちるが、山茶花ははらはらと落ちる。その様子が仮名書きで表現されていて、美しい。俳句は切り取られた写真だと言われるが、こういう動画もいい。映像が文字化され、山茶花の赤い色が、まるで高速度写真のように次第に墨色になってくるようだ。もっと言えば、はじめは山茶花の映像だったのが、赤色が墨色に、そして花びらは平仮名になっていく、そういう映像処理を見るようで、不思議な世界に誘われる。

  かじかむ手むぞかむぞかとなでくれし  田中 恵
むぞうがるという言葉がある。無懺がると書く。可愛がる慈しむの意味と広辞苑にはある。小さい時日田に姉と二人で母の伯母の家に遊びに行くと「むぞらしかね」と言われたことを思い出した。こんなに幼くて不憫だという意味も込められていたのだろう。

  冬の川鴎一羽に覆われて        徳永 義子 
鴎一羽が冬の川を覆っている情景とは?俳句を評する時に心象風景という言い方をする。だが、人の心はそうそうに判るものではない。だから必ずそこに具現されている言葉そのものから判断していく姿勢を保つように努力している。そういう食いつき方からいくと・・・冬の川は遠くにみえ、眼前を鴎が飛んでいる。あるいは、冬の川は枯れていて、そこに鴎が飛んでいるのが、あたかも川を覆うようだったと。この句に非常に心惹かれたのだが、いかんせんこれを書いているわたしは健康状態が最悪であって、しかし康子さんを盗みたいと願っているからには、これくらいで音を上げられないという意地で、原稿を書いている午前四時である。

  落書きの大方卑猥風花す      沖 隆史
 その通りである。その事実に風花という可憐な言葉の合わせ方は見事である。こういう断定は読んで気持ちがいい。

  今ごろは芽麦に土をじょれん掛け   姫野 恭子  
鋤簾と書く。土をかき寄せる道具である。母上の独り言とある。正岡子規の 毎年よ彼岸の入りに寒いのは を思い出す人も多いだろう。これは「母の詞自ら句になりて」とある。明治二十六年の句。口語俳句の先駆けである。方言であれ口語であれ、私たちはもっと自由に使おう。
2005.4  「樹」156号掲載